ロックのメジャー化とは? わかりやすく解説

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ロックのメジャー化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:29 UTC 版)

矢沢永吉」の記事における「ロックのメジャー化」の解説

独立独歩ステータス確立という点において、矢沢現在のロック系大衆音楽ビジネス開祖存在である。 キャロル時代のロックのメジャー化に加え、ソロシンガー・矢沢永吉としての先駆的業績1977年から1978年にかけてのもの大きい。1977年8月26日日本人ソロ・ロックアーティストとして初め日本武道館公演1978年3月21日発売した資生堂CMソング時間よ止まれ」がオリコン1位を獲得しミリオンセラー記録。「時間よ止まれ」の大ヒットからロック系楽曲のヒットラッシュが始まった[出典無効]。「時間よ止まれ」がオリコン1位を獲得した1978年6月は、アルバムゴールドラッシュ』もオリコンアルバム1位で、シングル・アルバムとも矢沢一位独占した。またこの年12月出したライブ・アルバムLIVE 後楽園スタジアム』もオリコンアルバム1位を獲得している。 同年5月長者番付1977年納税分)歌手部門で、ロック歌手として初の歌手部門第1位を獲得1980年1982年にも1位となる。ロックミュージシャンとして初の1位獲得それまで日本のロックミュージシャン像を打ち破った当時のロックミュージシャンは「食べられない」「女のヒモ」というイメージであったため、各新聞や雑誌メディア大きく報道した自身では「ジャパニーズロック転機だったんじゃないか」と述べている。7月15日刊行した自伝本「成りあがり」は、同年12月までに1860部を売り上げ版を重ねて100万部をえるベストセラーとなる。矢沢は、音楽スタイル表面的な部分だけでなく、ロックという生き様体現した8月28日には後楽園球場コンサートロック単独公演5万人を集めて、この日、ロックはついにメジャーになったとも評された。このコンサートは、日本ミュージシャンによるスタジアム・コンサート先鞭をつけた。後楽園球場コンサート控えた1978年当時雑誌インタビュー矢沢は「トータル性を備えた、実としてのロックは俺から出たと思う。俺がソロになった時から」と自身が、日本のロック実質的な始祖であると言い切った1978年矢沢の名は全国広まりアメリカン・ドリームならぬジャパニーズ・ドリームという夢をキャロル知らない世代にまで与えた

※この「ロックのメジャー化」の解説は、「矢沢永吉」の解説の一部です。
「ロックのメジャー化」を含む「矢沢永吉」の記事については、「矢沢永吉」の概要を参照ください。

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