世良修蔵暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 14:50 UTC 版)
世良は東北諸藩を相手に政府軍参謀の地位をひけらかし横暴で、歎願をあたまから無視し、非妥協的かつ性急に出兵を強要し 、戊辰戦争において「世良修蔵ほど憎まれた者はいないといってもよい」という人物だった。 そこに、歎願書却下と世良の書いた大山参謀宛の手紙「奥羽皆敵と見て・・」の露見が引き金になり、仙台藩士らによって世良襲撃が実行された。4月20日午前2時頃、仙台藩士赤坂幸太夫、福島藩士遠藤条之助の二人が福島の金沢屋二階奥で酒に酔い、宿の飯盛女と同衾していた世良修蔵を捕え、午前6時頃、河原で首を刎ねた。
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