世界初の蒸気機関車・ペナダレン号とは? わかりやすく解説

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世界初の蒸気機関車・ペナダレン号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 04:49 UTC 版)

リチャード・トレビシック」の記事における「世界初の蒸気機関車・ペナダレン号」の解説

ウェールズ南部の町マーサー・ティドヴィルでは製鉄業栄え鉄鉱石石炭運搬鉄道馬車使用していた。また、製鉄所製造され鉄製品を運河使ってカーディフCardiff)まで運搬していた。しかし、運河だけでは製品の輸送追いつかなかったため、1802年いくつかの製鉄所共同してマーサー・ティドヴィルから途中のアベルカノン(Abercynon)まで運河沿って結ぶ馬車鉄道作った1802年トレビシックマーサー・ティドヴィルのペナダレン製鉄所英語版)でハンマー英語版)を駆動する高圧蒸気機関製作した。同製鉄所所有者サミュエル・ホンフレイの監督下、同製鉄所作業員リース・ジョーンズを助手として、その蒸気機関台車設置して蒸気機関車とした。1803年トレビシックはこの蒸気機関車特許をサミュエル・ホンフレイに売却した。 ホンフレイは、トレビシック蒸気機関車10トン牽引してペナダレン(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯5145分03西経3度2233秒 / 北緯51.750825度 西経3.375761度 / 51.750825; -3.375761)からアベルカノン(北緯513844西経3度1927秒 / 北緯51.645567度 西経3.324233度 / 51.645567; -3.324233)までの約16kmを運べるか、別の製鉄所持ち主リチャード・クローシェイ(英語版)と500ギニー賭けをした。この賭け大衆注目集め1804年2月21日、ペナダレン号は10トンと5両の客車、それに乗った70人の乗客をアベルカノンまで4時間5分で輸送することに成功した平均時速は約3.9kmである。出発後、間もなくペナダレン号の煙突が低いぶつかって破損しその場修理した、という記述見られる乗客にはホンフレイとクローシェイだけでなく、トレビシック尊敬するデービス・ギディや政府派遣した技術者らがいた。 ペナダレン号の蒸気機関はコールブルックデールのそれとは構成異なる。ボイラーシリンダー配置逆にしたので、火室扉と可動部品は離れている。それにより、クランクシャフト煙突側に配置されるようになった煙管1つ備えたボイラー四輪台車上に設置されている。一方の端にストロークの非常に長いシリンダー1つあり、スライドバー沿ってピストンヘッドのクロスヘッド英語版)があり、全体としてさながら巨大なトロンボーンのようである。シリンダー1つしかないので、大きなはずみ車組み合わされている。はずみ車回転慣性によって一定の回転力中央の歯車伝え、そこから各動輪歯車に力を伝達する復水器用いない高圧シリンダー使っており、火室からの煙と共に蒸気煙突から排出する。 ホンフレイは賭け勝った成功の要因線路勾配緩やかだったためである。当時滑らかなレール動輪用いて自力走行しようとして動輪滑ってしまうため、実用にならないという認識あったようである。トレビシック蒸気機関車はこの常識覆した、と指摘する記述見られるレール車輪のみで走行する方法粘着走行と言う粘着による走行トレビシック成功以降疑問視されていた。そのため、その後もしばらくはレール車両案内使われ別に設けられ歯車走行用い蒸気機関車見られるジョン・ブレンキンソップJohn Blenkinsop)が考案しマシュー・マレーMatthew Murray)が製造したサラマンカSalamanca)号がその一例である。トレビシック機関車から9年後の1813年イギリスウィリアム・ヘドリーWilliam Hedley)が再び粘着走行による蒸気機関車ワイラム・ディリー(Wylam Dilly)号、パフィング・ビリー(Puffing Billy)号を製作し、ようやくその知見再認識された(両者とも現存し現存する最古蒸気機関車でもある)。その後粘着走行一般化させたのはスチーブンソンであるとする説が有力である。 蒸気機関車走行には成功したものの、前途多難だった。初の走行の際にもいくつかのトラブル見舞われたが、一番の問題レールだった。線路は、軌間約1270mm、鋳鉄製のL型レール使用していた(4フィート4インチ(約1321mm)という記述見られる)。当時レール馬車鉄道用に作られており、もろい鋳鉄レール用いていた。そのため、機関車重量に耐えられず、ほどなくして破損したまた、蒸気機関車にも、回転ムラがある動力伝達用の歯車破損する大きな音を出す、などの問題抱えていた。このため蒸気機関車による運搬3度ほどで中止され馬車牽引戻された。ペナダレン号も解体され蒸気機関は元のハンマー駆動用に戻された。 このようにレール蒸気機関車用いた本格的な鉄道実用化までには至らなかった。まだ、レール蒸気機関車開発途上にあり、いましばらく改良必要だったマーサー・ティドヴィルにはペナダレン号の記念碑があり、その背後石壁がある。これは、ホンフレイの屋敷の塀の一部である。 ペナダレン号の原寸大実動する複製製作され1981年カーディフウェールズ産業海運博物館贈られた。同博物館閉館すると、スウォンジ国立ウォーターフロント博物館移された。年に数回屋外設置された40mの線路走行する実演が行われている。

※この「世界初の蒸気機関車・ペナダレン号」の解説は、「リチャード・トレビシック」の解説の一部です。
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