世界初の有人水素気球飛行
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「ジャック・シャルル」の記事における「世界初の有人水素気球飛行」の解説
1783年12月1日13時45分、シャルルとロベール兄弟はパリのテュイルリー宮殿で新たな有人気球の初飛行を行った。モンゴルフィエ兄弟の熱気球での有人飛行の成功の10日ほど後である。380m3の水素気球で、シャルルとニコラ=ルイ・ロベールが搭乗した。気嚢には水素放出用バルブがあり、それに網が被せられていて、その網で人間が乗り込むバスケットを吊るす構造である。高度を調整するバラストとして砂を詰めた袋を使った。高度約1,800フィート(550メートル)まで上昇し、日没ごろにネル=ラ=ヴァレに着陸するまでの2時間5分で36kmを飛行した。ルイ・フィリップ2世が率いた一団が馬で気球を追いかけ、シャルルとロベールが気球から降りる際には、気球が再び浮かないよう押さえつけたという。 シャルルはその場で気球で再び飛行することを決めたが、水素ガスを一部失っていたため単独で乗り込むことにした。すると気球は急上昇して約3,000メートルの高度に達し、没したはずの太陽が再び見えたという。耳が痛くなってきたため、シャルルはバルブを操作して水素ガスを放出し、約3km離れたトゥール・デュ・レイに静かに着陸した。それ以降シャルルが気球に乗ることはなかったが、水素ガス気球はシャルルの栄誉を称えて Charlière と呼ばれるようになった。 この初飛行を見た観衆は40万人に達したと言われている。プロジェクト資金集めの募金に応じた数百人は特等席で離陸を見物した。その特等席にはアメリカ合衆国大使だったベンジャミン・フランクリンもいた。また、シャルルは尊敬するジョセフ・モンゴルフィエを招待し、上空の風を調べるための小さな気球をモンゴルフィエに放ってもらった。
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