世界初のヘリコプターによるデモンストレーション飛行
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「ハンナ・ライチュ」の記事における「世界初のヘリコプターによるデモンストレーション飛行」の解説
シレジア地方のヒルシュベルク(現 ポーランド、ドルヌィ・シロンスク県イェレニャ・グラ)に、眼科医の父とチロル貴族の母との間に生まれる。自分も医者を目指していたが、学生の頃にグライダーに乗って空を飛ぶ魅力にとりつかれ、北アフリカで飛行往診医になることを考えていた。1932年にグライダー初飛行を果たすと1933年に医学校を辞め、ヴォルフ・ヒルトの招きでバーデン=ヴュルテンベルク州ホルンベルクにあるグライダークラブに入った。このグライダークラブにはフォン・ブラウンも通った。1937年、ドイツ空軍のシュテッティン飛行学校に女性で初めて入校を認められ、エルンスト・ウーデット空軍少将により空軍のテストパイロットとして採用される。 グライダー飛行では様々な世界記録を樹立した他、ユンカースJu87シュトゥーカ、ドルニエDo17をはじめ、女性で初めてヘリコプター フォッケウルフFw61の操縦者となる。彼女の卓抜した飛行技能は、1930年代後半から40年代初めにかけてナチ党の恰好の宣伝(プロパガンダ)に使用された。 1938年、ベルリン・モーターショーのドイッチュラントハレ屋内競技場(ドイツ会館)にて、世界で初めての実用ヘリコプター フォッケウルフFw61によるデモンストレーション飛行を行う。ただ、このヘリコプターの技術的意義について当時無知であった観衆の反応はあまり芳しいものではなかった。まもなくして、このヘリコプター飛行に対して空軍功労賞を授与される。 当初男性パイロットと同時にパフォーマンスを行なう予定だったが、男性パイロットが恐れをなして4mしか上昇しようとしなかったのに対し、ハンナは軽々と100m以上上昇しきってしまったため急遽単独でのデモンストレーションが決まった。
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