世界初の五大陸最高峰登頂者となるとは? わかりやすく解説

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世界初の五大陸最高峰登頂者となる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:15 UTC 版)

植村直己」の記事における「世界初の五大陸最高峰登頂者となる」の解説

帰国後、地下鉄工事仕事をした。この頃の“夢”は、アコンカグア冬期単独登頂と、筏(いかだ)下りをしたアマゾン川モーター付きゴムボート河口から源流遡上することだった。 1969年日本山岳会創立65周年事業として、世界最高峰エベレスト標高8,848m)登山隊の派遣決定し同年4月明治大学山岳部先輩である大塚美に誘われ、これに参加することにした。第1次偵察隊隊長藤田佳宏、以下、植村含めて4人)に参加し同年4月23日日本発ち同年5月標高6,300m南壁基部まで試登し、6月21日帰国した続いて第2次偵察隊隊長宮下秀樹、以下、植村含めて8人。ほか報道4人)にも参加し8月20日日本発ち9月13日ベースキャンプ設営10月31日小西政継と共に南壁標高8,000m地点まで到達したその後偵察隊11月7日ベースキャンプ撤収し帰国した後もネパールのクムジュン(標高3,800m)に滞在し翌年本隊のための物資調達シェルパらの予約をしつつ、高度順化高所トレーニング行った1970年2月日本山岳会エベレスト登山隊の本隊(総隊長松方三郎登攀隊長大塚博美、以下39人)をカトマンズ迎え入れた3月23日ベースキャンプ入った植村は、自己分担金用意できなかったため、荷揚げルート工作要員としての参加であった[要出典]が、抜群体力などが認められ5月3日松浦輝夫とともに東南ルート第1次アタック隊に指名され5月11日午前9時10分、エベレスト登頂成功した日本人として初めてのことであった。なお、隊として主目標であった南壁からの初登頂は、標高8,050m地点断念された。 同1970年7月30日日本出発し同日アラスカ入りエベレスト登頂勢い借りて、再びマッキンリー(現:デナリ)に挑戦した8月17日軽飛行機でカヒルトナ氷河入り8月19日ベースキャンプ標高2,135m)を出発8月26日単独登頂成功した。この時点で、世界初五大陸最高峰登頂者となった植村29歳参照:「七大陸最高峰#エルブルス山はヨーロッパを代表する山か

※この「世界初の五大陸最高峰登頂者となる」の解説は、「植村直己」の解説の一部です。
「世界初の五大陸最高峰登頂者となる」を含む「植村直己」の記事については、「植村直己」の概要を参照ください。

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