世界初の五大陸最高峰登頂者となる
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「植村直己」の記事における「世界初の五大陸最高峰登頂者となる」の解説
帰国後、地下鉄工事の仕事をした。この頃の“夢”は、アコンカグアの冬期単独登頂と、筏(いかだ)下りをしたアマゾン川をモーター付きのゴムボートで河口から源流へ遡上することだった。 1969年、日本山岳会が創立65周年事業として、世界最高峰のエベレスト(標高8,848m)登山隊の派遣を決定し、同年4月、明治大学山岳部の先輩である大塚博美に誘われ、これに参加することにした。第1次偵察隊(隊長:藤田佳宏、以下、植村を含めて4人)に参加し、同年4月23日に日本を発ち、同年5月、標高6,300mの南壁基部まで試登し、6月21日、帰国した。続いて、第2次偵察隊(隊長:宮下秀樹、以下、植村を含めて8人。ほか報道4人)にも参加し、8月20日、日本を発ち、9月13日、ベースキャンプを設営、10月31日、小西政継と共に南壁の標高8,000m地点まで到達した。その後、偵察隊が11月7日にベースキャンプを撤収し、帰国した後もネパールのクムジュン(標高3,800m)に滞在し、翌年の本隊のための物資調達やシェルパらの予約をしつつ、高度順化や高所トレーニングを行った。 1970年2月、日本山岳会エベレスト登山隊の本隊(総隊長:松方三郎、登攀隊長:大塚博美、以下39人)をカトマンズで迎え入れた。3月23日、ベースキャンプに入った。植村は、自己分担金を用意できなかったため、荷揚げ、ルート工作要員としての参加であった[要出典]が、抜群の体力などが認められ、5月3日、松浦輝夫とともに東南稜ルートの第1次アタック隊に指名され、5月11日午前9時10分、エベレストの登頂に成功した。日本人として初めてのことであった。なお、隊として主目標であった南壁からの初登頂は、標高8,050m地点で断念された。 同1970年7月30日、日本を出発し、同日、アラスカに入り、エベレスト登頂の勢いを借りて、再びマッキンリー(現:デナリ)に挑戦した。8月17日、軽飛行機でカヒルトナ氷河に入り、8月19日、ベースキャンプ(標高2,135m)を出発、8月26日、単独登頂に成功した。この時点で、世界初の五大陸最高峰登頂者となった。植村、29歳。 参照:「七大陸最高峰#エルブルス山はヨーロッパを代表する山か」
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