世界初の遭難信号SOS
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/27 13:18 UTC 版)
「ハッテラス岬」の記事における「世界初の遭難信号SOS」の解説
1901年、アメリカ国立気象局にいた無線研究家レジナルド・フェッセンデンがハッテラス島のバックストン(Buxton)と、そこから北へ80km離れたロアノーク島に無線実験局を建設し、1902年夏まで通信試験を行っていた。 また無線研究家リー・ド・フォレストが1902年に米国ド・フォレスト無線会社(American De Forest Wireless Telegraph Company)を創業し、ハッテラス岬に海岸局(無線局)を建設して沖合いの船舶との無線電報の取扱いをはじめたのは1903年だった。ハッテラス岬海岸局は米国の大西洋岸に建設された海岸局(無線局)として最古のグループに属する。1906年11月、ユナイテッド・ワイアレス社が設立され、ハッテラス岬海岸局を含む米国ド・フォレスト無線会社の全資産を引き継いだ。 1909年8月11日、ニューヨークからフロリダ州のジャクソンビル (フロリダ州)に向かっていたクライド・ライン「アラパホ号(SS Arapahoe)」がハッテラス岬沖でプロペラシャフトを破損する事故を起こした。 アラパホ号にはユナイテッド・ワイアレス社の船舶無線局VBが開設されており、ただちに無線電信で救助を求めたところ、ユナイテッド・ワイアレス社ハッテラス岬海岸局HAおよびクライド・ライン「ヒューロン号(SS Huron)」に開設されたユナイテッド・ワイアレス社の船舶無線局VHと連絡がとれ、アラパホ号の全員が救助された。 世界初の遭難信号SOSはこのときアラパホ号VBがハッテラス岬沖にて発したものである。
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