世界初の社会主義国家「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」
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1917年11月に憲法制定議会の選挙が行われたが、社会革命党など反対派が多数を占め、ボリシェヴィキは議席率で24.8%(得票率が24.0%)の少数派に留まったため、ボリシェヴィキは1918年1月の憲法制定議会開催の2日目に議会を武力で解散させ、以後、議会を開くことはなかった。 1918年1月23日から、「第3回労働者・兵士ソビエト大会」が同月31日まで開催された。この大会では勤労搾取人民の権利が宣言されるとともに、新国家が「社会主義の建設を目的とする労働者、兵士、農民のソビエト共和国である」ことが確認された。また土地社会化基本法案が採択。さらに、ヨシフ・スターリンによってロシア共和国は「諸民族のソヴィエト共和国連邦である」ことが報告された。開催から3日後の26日には農民ソビエト大会も合流し、参加者は1587名にのぼり、うち、ボリシェヴィキと社会革命党左派が大半を占めていた。この大会によって世界初の社会主義国家ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の成立が宣言されたのである。
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