下谷工区とは? わかりやすく解説

下谷工区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:40 UTC 版)

第2上野トンネル」の記事における「下谷工区」の解説

下谷工区は下谷立坑から寛永寺橋立坑までの区間で、東京起点4キロ337メートルから5キロ085メートルまでの延長749メートル佐藤工業請け負ったシールドトンネル外径は12.66メートルあり、これは建設当時としては世界最大級のシールド工事であった。 下谷工区で建設する区間地質は、シールドトンネルを非常に施工しづらいとされる粘着力低く崩壊性の砂層がトンネル上部にあり、地盤改良対策が必要であった。また水頭にして17メートルに及ぶ地下水滞水していたが、周辺多数井戸使用されていることから、井戸枯れへの配慮が必要とされた。こうしたことから、切羽トンネル工事最前端部)が崩壊するのを防ぐための工法検討が行われた。第2上野トンネルでは、トンネル上部存在する建物基礎杭トンネル断面支障しており、切羽において切断除去しながら施工するアンダーピニング必要があることから、泥水加圧式や削土密封式といった特殊なシールド工法採用することができず、補助工法が必要となった地下水位高く粘着力のない砂層における安定化対策としては、粘着力与え水圧制御するという2点考慮する必要があるこのため薬液注入工法凍結工法圧気工法地下水位低下工法といったものが考えられた。地下水位低下工法は、地下水をくみ上げて水位低下させる方法であるが、周辺井戸への影響があり、また安定化信頼度が低いことから採用されなかった。圧気工法は、シールド内の気圧上げて地下水制御を行う工法であるが、シールド発進部では圧気の設備設置用地的・工期的な問題があった。薬液注入工法は砂の粘着度を高め薬液注入する工法であるが、これ単独では安定化信頼度が低いと考えられた。結果的にシールド発進させる初期区間では、冷凍管を地盤巡らせ冷却することで地盤凍結させる凍結工法薬液注入工法併用しトンネルある程度掘削した段階トンネル内に圧気設備設けて圧気工法薬液注入工法併用切り替える方法採用された。 薬液注入当たっては、下谷工区の現場で地上幹線道路通っており建物多く建ち並んでいることから、地上からの薬液注入は困難であったこのため中間付近にある私有地借地して下谷パイロット立坑建設しここから双方向へ、下谷立坑側へは176メートル寛永寺橋立坑側へは455メートル外径3.55メートル内径3.3メートルのパイロットトンネルをシールド工法建設したセグメント施工性良いスチールセグメントを7分割ボルト止め施工した。下谷工区のパイロットトンネルは、本トンネル断面内に建設した建設後、パイロットトンネル内から周辺地盤に対して薬液注入実施したシールド発進位置となる下谷立坑は、他にまとまった適地がなかったことから、上野駅隣接する台東区道上建設された。立坑の内空寸法は、横幅シールド外径である12.66メートル加えてシールド発進時シールドマシン通過する部分の壁を撤去して強度保てるように余裕考えて16メートルとした。長さ方向シールドマシン長さ9.5メートル余裕加えて14メートルとした。またシールド発進基地には、建設時使用するセグメント倉庫受電設備ブロア設備などが必要であるが、道路上占有最小限にするように行政から指示受けていたため、道路の下に立坑以外に約690平方メートル地下基地設けた掘削当たっては、明治維新前墓地であった場所であるため、遺体発見されるなどして処置苦慮することになった本坑掘削に使うシールドマシンは、前述したように本坑断面露出する基礎杭切断を行う必要があることなどから、半機械手掘りシールド採用したシールドマシン外径12,840ミリ長さは9,300ミリあり、総重量は1,150トンジャッキ推力12,000トンであったシールドマシンには、カッティングムーバブルフード (CMH) とカッティングスライドデッキ (CSD) を装備した。CMHはシールドマシン最上部に取り付けられた、貫入装置持った特殊フードで、幅380ミリ、高さ520ミリフードシールド先端から最大1,300ミリ地山貫入でき、切羽面の地質に応じて出入りさせることで切羽面の安定を図るもので、合計22基が装備された。これにより、支障切断するに際して周りを先掘りし、抱え込むようにすることで、容易に掘れるように対策された。CSDシールドマシン中段配置されたCMHと同様の自動貫入式スライドデッキで、幅380ミリ、高さ500ミリデッキ先端から1,300ミリまで貫入させ、あるいは500ミリまで後退できる。合計18装備され切羽土質に応じて出入りさせることで切羽面を上段下段分割して滑り崩壊防止する役割を果たすセグメントは、Kセグメント含めて1リング13分割で、1ピース長さ約3メートル、幅1メートル厚さ55センチ重さ4.5トンである。 立坑からシールド発進させるにあたって前述した通り凍結工法採用した立坑発進部から15.5メートルまでの掘進対象とし、そこで一旦シールドマシン止めて1か月かけて圧気設備設置行って圧気工法への切り替え行った。このシールドマシン停止期間の切羽防護のために、切羽からさらに2メートル範囲で壁状に凍土構築した凍土構築は、凍結管を地中差し込んでその中を冷却液を循環させることで行った発進から1メートル範囲では、トンネルを門型に囲うように凍土構築し、1メートルから15.5メートルまでの区間では厚さ4.5メートル凍土トンネル天井部を囲うように構築した。15.5メートルから17.5メートルまでの区間切羽全体を壁のように覆ってシールドマシン停止期間の安定化策とした。凍結土量は約3,000立方メートル凍結期間は約9か月であり、ブライン方式凍結工法採用された。この凍結区間道路上一部道路の脇にはみ出し作成された。凍結工法は、凍結によって地面変状することがあり、今回凍結区間では直近9階建てのビルがあったことから変位定期的に測定したが、特に問題なく工事完了した工事にあたっては、前述したようにトンネル通過する土地建てられている建物基礎杭トンネル断面支障している場所があった。直接基礎断面露出している建物が2件、トンネル天端近く達している建物が5件、この他寛永寺橋台2基と橋脚5基も支障していた。支障は径が800ミリから1,500ミリで、合計108であった基礎杭支障している2件については、1件はビル買収して撤去したが、もう1件の日伸ハイツマンション(鉄筋コンクリート11階建て、総重量5,380トン)については、あらかじめトンネル両側新設基礎構築して荷重を受け替えてシールドマシン通過時に元の基礎杭切断するアンダーピニング行った寛永寺橋についても、基礎杭トンネル外側新設して受け替え従来切断除去した。また盛土となっていた区間についてはラーメン構造変更した。1本の基礎杭切断には平均3日かかり、合計100本の基礎杭撤去行ったトンネル天端基礎杭接近しているものについては、シールド通過中だけ既設基礎杭切断して新設し耐圧版からジャッキ荷重を受け替えシールド通過後に再び元の復旧する耐圧工法採用した。この工法下谷郵便局現在の上野郵便局鉄筋コンクリート地上4階地下1階建て、総重量12,000トン含め合わせて3件で実施したこの他基礎杭トンネルかある程度離れているものについては、薬液注入するなどして周辺地盤補強している。 下谷工区は1978年昭和53年3月20日着手し1984年昭和59年8月30日竣工した。これは第2上野トンネルの3工区最後完成であった基礎杭切断かかった時間含めなければ、下谷工区は平均日進2.1メートルであった。下谷工区の工費は約121億5700万円であった

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