下谷摩利支天とは? わかりやすく解説

徳大寺

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/22 14:39 UTC 版)

徳大寺
所在地 東京都台東区上野4丁目6番2号
位置 北緯35度42分30.82秒 東経139度46分27.81秒 / 北緯35.7085611度 東経139.7743917度 / 35.7085611; 139.7743917座標: 北緯35度42分30.82秒 東経139度46分27.81秒 / 北緯35.7085611度 東経139.7743917度 / 35.7085611; 139.7743917
山号 妙宣山
宗派 日蓮宗
本尊 大曼荼羅
創建年 未詳(江戸時代前期)
開基 日遣
正式名 妙宣山 德大寺
別称 下谷摩利支天
法人番号 9010505000444
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徳大寺(とくだいじ)は、東京都台東区上野4丁目アメヤ横丁のほど近くにある日蓮宗の寺院。山号は妙宣山。本尊は大曼荼羅。開運摩利支天を祀ることから下谷摩利支天(したやまりしてん)とも呼ばれる。旧本山は大本山中山法華経寺。親師法縁。

歴史

創建年代は不明だが、伝承では江戸時代前期の承応2年(1653年)に示寂した日遣によって開山されたとものという。京都本法寺の日達が下総国中山(現在の千葉県市川市)の法華経寺へ赴く際に聖徳太子作と伝えられる摩利支天像を感得、これが宝永5年(1708年)にこの寺に安置され、以後江戸における流行仏のひとつとして庶民の信仰を集めた。

下谷摩利支天

徳大寺に奉置される摩利支天像の姿は、左手をかかげ、右手に剣を持ち、走るイノシシの上に立つものである。元来、厄を除き運を開く勝利の守護神であり、武士や芸道者に多く信仰を集めた。その由来から武人の誉れ高い神を祀る寺として、戦前においての徳大寺は半ば神社並みの寺風を擁していた。この摩利支天像は関東大震災東京大空襲などの災厄でも焼失を免れており、現在でも厄を祓う守護神として幅広く信仰されている。

アクセス

関連項目

外部リンク


下谷摩利支天

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徳大寺」の記事における「下谷摩利支天」の解説

徳大寺に奉置される摩利支天像の姿は、左手をかかげ、右手に剣を持ち、走るイノシシの上に立つものである元来、厄を除き運を開く勝利守護神であり、武士芸道者に多く信仰集めた。その由来から武人誉れ高い神を祀る寺として、戦前においての徳大寺半ば神社並みの寺風を擁していた。この摩利支天像は関東大震災東京大空襲などの災厄でも焼失免れており、現在でも厄を祓う守護神として幅広く信仰されている。

※この「下谷摩利支天」の解説は、「徳大寺」の解説の一部です。
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