ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)
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ヴィルヘルム1世(Wilhelm I. 1797年3月22日 - 1888年3月9日)は、第7代プロイセン国王(在位:1861年1月2日 - 1888年3月9日)、北ドイツ連邦主席(在任:1867年7月1日 - 1871年1月18日)、初代ドイツ皇帝(在位:1871年1月18日 - 1888年3月9日)。
注釈
- ^ 自由主義的保守派の官僚や貴族たちによって構成された勢力。1851年から『プロイセン週報』という機関紙を発行するようになったためこう呼ばれた。駐英大使クリスティアン・カール・ヨシアス・フォン・ブンゼン、アルベルト・フォン・プルタレス伯爵、ロベルト・フォン・デア・ゴルツ伯爵、グイド・フォン・ウーゼドムなどが参加[14]。
- ^ ただし自由主義を弾圧する強硬保守派の代表格だった内務大臣フェルディナント・フォン・ヴェストファーレンは摂政就任前に罷免している[18]。
- ^ これについてフランツ・メーリングは「自由主義内閣はその自由主義のためにではなく、その自由主義が無害であるために任命された」と表現する[18]。
- ^ ビスマルクの回顧録によれば、鉄血演説を聞いたヴィルヘルムは王妃アウグスタの影響で不安になっていたという。駅まで出迎えに出たビスマルクと同乗した際にヴィルヘルムは「その結果は私にはよく分かっている。王宮の窓の下でまずお前が民衆から首を刎ねられる。その次は私の首だ。」と不満げに語ったという。これに対してビスマルクは「陛下、それに勝る死がありますか。人間誰でもいつかは死ぬのです。臣は陛下と祖国のために闘って死にます。陛下は御身の尊き鮮血をもって、神から与えられた王権を守るために崩じられるのです。戦場で散るのと断頭台で散るのに違いがありますでしょうか。陛下、ルイ16世を思い浮かべてはいけません。彼は弱者として死にました。陛下、チャールズ1世を思い浮かべてください。彼は王権のために戦い、敗れましたが、王者の威容をもったまま死にました。陛下の取られる道はただ一つ、玉体を危機に晒してでも闘い続けることであります」と奉答したという。これに絶対主義者・王権神授説信奉者のヴィルヘルム1世は勇気づけられて、改めてビスマルクとともに軍制改革を戦い抜く覚悟を固めたのだという[50]。ただしこのビスマルクの回顧録の内容を疑う説もある[51]。
- ^ 古代ゲルマン民族や中世ドイツでは共同して出征する場合に統領を選出していた[116]。
- ^ 独語の文法上、前者が『ドイツ内の一皇帝』に対し後者は『ドイツ唯一の皇帝』的な響きを持つ。DDR(ドイツ民主共和国・東ドイツ)が『ドイツ内の一民主共和国』なのに対しBRD(ドイツ連邦共和国・西ドイツ)が『ドイツ唯一の連邦共和国』と見られるのと同様である。
出典
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- 1 ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)とは
- 2 ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)の概要
- 3 顕彰
- 4 系図
- 5 ビスマルクとの関係
- 6 日本との関係
- 7 参考文献
- 8 関連項目
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