宮古島に記念碑贈呈とは? わかりやすく解説

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宮古島に記念碑贈呈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 23:27 UTC 版)

ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)」の記事における「宮古島に記念碑贈呈」の解説

宮古島#ドイツ商船遭難事件その後交流」も参照 明治6年1873年7月9日宮古島の旧上野村(現沖縄県宮古島市)沖に、ドイツ商船R・Jロベルトソン号が台風のため座礁した。島の役人島民がエドヴァルト・ヘルンツハイム船長下生存者8人を救出しその後世話看病をし続けた。ヘルンツハイム船長らは帰国途中立ち寄った英領香港ドイツ領事にその件を報告しハンブルク市、帝国首相官房経て皇帝ヴィルヘルム1世耳に入った宮古島島民行動感動したヴィルヘルム1世感謝の意を示すため、事件経緯記したドイツ皇帝博愛記念碑と金懐中時計4個、望遠鏡4本を同島に贈ることに決め明治9年1876年3月東アジア駐屯しているドイツ軍艦チクロープ号にこれを宮古島持って行かせた。平良港近く高台記念碑建てられ3月22日にその除幕式が行われた。 この石碑その後宮古島島民にも忘れ去られていった。しかし昭和4年1929年)に日本銀行那覇支店長がこの石碑発見し顕彰運動起こし昭和8年1933年)に文部省国定教科書教材募集していたところ、この石碑の件が一等輝いたという。昭和11年1936年11月日独防共協定向けて日独友好関係が深まる中、「ドイツ皇帝博愛記念碑60周年記念式典」がドイツ大使館員も出席の上盛大に行われたこの際上野村にも「独逸商船遭難之地」の石碑建てられた。 昭和47年1972年11月沖縄復帰に際してロベルトソン救助事件100周年記念して博愛記念祭」が開催された。平成12年2000年)には九州・沖縄サミット出席したドイツ首相ゲルハルト・シュレーダーロベルトソン救助事件記念してうえのドイツ文化村訪問した

※この「宮古島に記念碑贈呈」の解説は、「ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)」の解説の一部です。
「宮古島に記念碑贈呈」を含む「ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)」の記事については、「ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)」の概要を参照ください。

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