宮古島における風葬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 09:05 UTC 版)
宮古島地方では、沖縄本島から伝わる以前から巨石墓(ミャーカ)というのがあり、風葬の代表的な例とされている。屋根のない石囲いの中に遺体を葬るものであったが、後世、風葬を嫌う考えが起こって屋根をかぶせるようになったという。仲宗根豊見親の墓のように、本島の横穴墓形式との折衷も見られる。島尻、狩俣、大神島にも風葬があり、昭和時代には洞窟などから遺骨が多数発見されたことがある。また、島尻集落のほぼ中央部には巨大な崖下墓があり、以前から「長墓(ながぱか)」として知られている。研究報告によると、長墓は3つの廓に分かれ、60 - 70体分の遺骨が乱雑に置かれていた。廓の前にはグスク様に囲いがあり、遺骨を以前収めていたと思われる容器も発見された。岩陰の内外で見つかった土器・陶磁器、キセルからこの墓域の年代は17世紀から18世紀頃と推定される。 「長墓遺跡」も参照
※この「宮古島における風葬」の解説は、「風葬」の解説の一部です。
「宮古島における風葬」を含む「風葬」の記事については、「風葬」の概要を参照ください。
- 宮古島における風葬のページへのリンク