ヴィルヘルミーネ・ライヒャルトとは? わかりやすく解説

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ヴィルヘルミーネ・ライヒャルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/04/02 13:38 UTC 版)

ヴィルヘルミーネ・ライヒャルト
(Adolph Friedrich Kunikeのリソグラフ、1820年頃)

ヴィルヘルミーネ・ライヒャルト(Johanne Wilhelmine Siegmundine Reichard、旧姓 Schmidt、1788年4月2日 - 1848年2月22日)は、ドイツの女性の気球乗りである。ドイツ人女性として最初に気球で飛行した。

ブラウンシュヴァイクに生まれた。父親はブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公の料理番 (cup-bearer) であった。1807年、科学者のヨハン・ライヒャルトと結婚した。家族はベルリンに移り、夫はその年、初めて気球を製作し飛行した。ヨハン・ライヒャルトはドイツで2番目の気球で飛行した人物となった。

1811年4月16日、ヴィルヘルミーネはベルリンから最初の気球によるソロ飛行を行い、高度5,000mに達し、33.5kmを飛行し、無事着陸した。ドイツでもフランス人女性のソフィー・ブランシャールが前年9月にフランクフルトで飛行をしているが、ドイツ人女性で最初の飛行となった。1811年のライヒャルトの3度目の飛行で高度7,800mに達したが、酸欠で気を失い、森に不時着し、負傷を負って付近の農民に助け出された。

夫の工場の購入の資金を得るために、興行飛行を行った。1816年10月に事故後、初めて飛行し、アーヘンや、プラハウィーンでも飛行し、ドイツ語圏では有名な気球乗りとなった[1]1820年ミュンヘンオクトーバー・フェストでの飛行が最後となった。

夫は1835年まで気球飛行を行い1844年に没したが、ヴィルヘルミーネは工場の経営を続け、1848年に没した。

参考文献

  1. ^ 『気球の夢 -空のユートピア』喜多尾道冬(著)朝日新聞社(1996年)



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