バート・エムスとは? わかりやすく解説

バート・エムス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/01 15:39 UTC 版)

紋章 地図
基本情報
連邦州: ラインラント=プファルツ州
郡: ライン=ラーン郡
連合自治体: バート・エムス連合自治体
緯度経度: 北緯 50度20分17秒
東経 07度42分38秒
標高: 海抜 100 m
面積: 15.36 km²
人口:

9,761人(2021年12月31日現在) [1]

人口密度: 635 人/km²
郵便番号: 56130
市外局番: 02603
ナンバープレート: EMS
自治体コード: 07 1 41 006
市庁舎の住所: Bleichstraße 1
56130 Bad Ems
ウェブサイト: www.bad-ems.de
行政
市長: ベルナルト・アプト (Bernard Abt)
Bad Ems
Bad Ems
1907年に建てられた灯台

バート・エムスBad Ems)はドイツ連邦共和国の都市。ラインラント=プファルツ州に属する。人口は約1万人。普仏戦争の契機となったエムス電報事件の舞台としても知られる。

地勢・産業

ラーン川沿いに位置する温泉保養地である。近隣の都市としては、約10キロ西にコブレンツ、55キロ南東にヴィースバーデンが位置している。

歴史

1324年に都市特権を獲得した。近世より温泉地として知られており、例えば ゲーテは、自伝『詩と真実』(Dichtung und Wahrheit)によれば、1772年 ラーン川沿いに旅をし、コブレンツに住む女流作家のゾフィー・フォン・ラ・ロシュ(Sophie von La Roche)の館を目指したが、その旅の途中エムスの温泉を楽しんでいる[2]19世紀になると、交通網の発展にともない各国君主が訪れた。この地でオットー・フォン・ビスマルクによって企てられたエムス電報事件は、1870年に勃発した普仏戦争の契機となった。

出身者

姉妹都市

引用

  1. ^ Statistisches Landesamt Rheinland-Pfalz – Bevölkerungsstand 2021, Kreise, Gemeinden, Verbandsgemeinden
  2. ^ Gertrude Cepl-Kaufman / Antje Johanning: Mythos Rhein. Zur Kulturgeschichte eines Stromes. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 2003 (ISBN 3-534-15202-6), S. 43.

関連項目

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