北ドイツ連邦主席
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 23:27 UTC 版)
「ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)」の記事における「北ドイツ連邦主席」の解説
普墺戦争の勝利によりオーストリアが連邦議会議長国を務めていたドイツ連邦は解体され、1867年7月にプロイセン王が連邦主席(Bundespräsidium)を兼務する北ドイツ連邦が樹立された。この時からすでに連邦のトップは皇帝(Kaiser)にするべきという意見があったが、フランスとバイエルンへの配慮からビスマルクは連邦主席という無難な名前にした。 しかし連邦主席の権力は強大であった。北ドイツ連邦憲法によれば連邦主席は北ドイツ連邦軍の統帥権を有し、プロイセンの軍事立法はすべての連邦加盟国にも適用されると定められていた。連邦に軍事に関する省庁は設置されず、プロイセンの軍事機関が北ドイツ連邦軍を支配下に置いていた。連邦の陸軍省が存在しないゆえに連邦主席の統帥権はプロイセン王としてのそれより強大であった。また連邦主席は公共の安全が脅かされていると判断した時は戒厳令を発する権限を有した。 この際にヴィルヘルム1世は憎き市民的なラントヴェーアを正規軍に従属する後備軍に編成替えし、軍隊から民主的な要素を消し去ることに成功した。
※この「北ドイツ連邦主席」の解説は、「ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)」の解説の一部です。
「北ドイツ連邦主席」を含む「ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)」の記事については、「ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)」の概要を参照ください。
- 北ドイツ連邦主席のページへのリンク