北ドイツ・ロイド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 17:30 UTC 版)
詳細は「北ドイツ・ロイド」を参照 北ドイツ・ロイド(ドイツ語版、英語版)は1856年にブレーメン市の実業家らが設立し、ブレーメン・イギリス間の輸送から始め、ブレーマーハーフェンとニューヨークの間の蒸気船運航に進出しアメリカへの移民や貨物を運んだ。「ロイド」はイギリスのロイド船級協会に由来する名称で、当時は海運会社の代名詞でもあり、他にもオーストリア・ロイド社(現イタリア・マリッティマ)やオランダのネドロイド(現在はマースクに併合)などロイドを冠する海運会社は多くあった。さらに1880年代にはアジア路線なども開設し、ドイツのフラッグキャリアの一つとしてイギリスのキュナード・ライン、ハンブルクのハンブルク・アメリカ・ライン、ロッテルダムのホーランド・アメリカライン、アントワープのレッドスターラインなどと大西洋路線で激しく競争した。1913年には24万人の旅客を大西洋横断路線で運び、多数の移民をアメリカに送り出した。一方で1908年にはロイト社を設立し自動車製造に参入する。 しかし第一次世界大戦の勃発でアメリカ側のホーボーケンに置いていた135隻の船団が抑留され、さらにアメリカの連合国側での参戦により船も港湾施設も正式に没収された。1922年、北ドイツ・ロイドはホーボーケンの施設などを買い戻し、業務を再開し、大西洋横断路線に多数の新造客船を就航させた。 第二次世界大戦ではまたしてもアメリカにあった船団および施設が没収された。1954年には業務を再開し、他国から買収した船舶で再びアメリカ路線に参入したが、競合他社の多さ、さらに旅客の航空路線シフトにより、北ドイツ・ロイドは客船を観光地向けクルーズに転用し、貨物輸送とクルーズ船に専念するようになり、やがてハンブルク・アメリカ・ラインとの合併に至る。 北ドイツ・ロイドの客船は多数のスピード記録を打ち立てた。1881年にエルベが打ち立てたサザンプトン・ニューヨーク間8日間という記録は1900年まで破られなかった。また、カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロッセ(1898年)やブレーメン(1929年)でブルーリボン賞を獲得している。
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