北ドイツ連邦海軍
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北ドイツ連邦は、1867年に創設した海軍をまだ組織中であった。そして大型装甲艦3隻、小型装甲艦2隻、スクリュー推進式汽走艦数隻の他、より非力な軍艦を保有していた。主要な基地はヤーデ川(ドイツ語版)に臨むヴィルヘルムスハーフェンである。1870年6月、北ドイツ連邦の装甲艦4隻は大西洋への途上にあった。政治的緊張と、フランス政府が早くも1870年7月15日には陸海軍向けの戦時国債(英語版)発行を承認したことを背景に、ドイツ諸邦は宣戦布告を単なる時間の問題と見ていたので、この戦隊は急いで帰途に就き7月16日にヴィルヘルムスハーフェンへ到着した。その3日後、フランスは宣戦する。 沿岸諸邦の総督としてプロイセン軍のエドゥアルト・フォーゲル・フォン・ファルケンシュタイン(英語版)大将が任命され、メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世の第18師団とゼーヴェーア(ドイツ語版)志願部隊の指揮を執った。沿岸防備に向けた主な処置として航路標識の撤去、機雷による港口の封鎖そして沿岸砲台の設置が実施される。プロイセン公子アーダルベルトは北ドイツ連邦海軍総司令官として大本営(ドイツ語版)にいたため、水上部隊は事実上、彼の代官である北海司令、エドゥアルト・フォン・ヤッハマン(英語版)中将の指揮下にあった。海軍の旗艦、装甲フリゲート「ケーニヒ・ヴィルヘルム」は艦隊の主力、即ち装甲フリゲート「クローンプリンツ(英語版)」、「フリードリヒ・カール(英語版)」、装甲艦「アルミニウス」及び砲艦7隻とともにヤーデ湾にあった。しかし「ケーニヒ・ヴィルヘルム」と「フリードリヒ・カール」の作戦能力は様々な損傷から制限されていた。エムス川の河口は、さらに2隻の砲艦が監視していた。 バルト海の主要な基地はキールであり、そこには沿岸砲台と並んで戦列艦「リナウン(ドイツ語版)」が配備されていた。さらにバルト海方面部隊の旗艦である通報艦「プロイスィシャー・アードラー(ドイツ語版)」、砲艦2隻とコルヴェット「エリーザベート」があった。同艦はフランスの海上封鎖によってバルト海に拘束され、後からヴィルヘルムスハーフェンに入港している。バルト海方面部隊の司令官はヘルト(ドイツ語版)少将であった。バルト海東部では通報艦「グリレ」と砲艦「ブリッツ(英語版)」、「ザラマンダー(ドイツ語版)」と「ドラッヘ(英語版)」からいわゆる「小分遣艦隊」(Flotillendivision)が編成され、フランツ・フォン・ヴァルダーゼー伯爵少佐がそれを率いた。同艦隊はリューゲン島とシュトラールズントの沿岸を哨戒した。砲艦「ティーガー(ドイツ語版)」はリューゲン島の東方を巡回した。重要な工廠(英語版)があったダンツィヒ港はコルヴェット「ニュンフェ」が守備した。戦争が勃発した時、さらにコルヴェット「メドゥーザ(ドイツ語版)」と「ヘルタ(ドイツ語版)」が駐留艦(ドイツ語版)として東アジアにあった。これらは優勢なフランス艦隊の前に終戦まで横浜港に閉じ込められている。練習艦「アルコナ(ドイツ語版)」は開戦時、アゾレス諸島にあった。砲艦「メテオーア」は駐留艦として西インド諸島に在泊していた。他の艦艇は、人員を充分に任務に就いている諸艦へ回すため退役していたのである。 北ドイツ連邦海軍は普仏戦争の間、北海へほとんど出撃しなかった。8月5日から7日にかけて、ヤッハマン中将は装甲艦戦隊をデンマーク沿岸に向けて出航させたが、フランス艦隊を発見することはできなかった。 フランス海軍が8月25日に命令されていたヤーデ川への攻撃を中止しなくてはならなかった一方、北ドイツ連邦もヘルゴラント島近海の優勢なフランス艦隊を襲撃することはなかった。そのような攻撃は9月12日、エドゥアルト・フォン・ヤッハマン中将が命じていたものの、惨事を予見していた艦長たちが拒否したのである。閘門の破壊と在泊艦艇の撃沈を目的とし、1871年2月の初めに予定されていた「クローンプリンツ」のシェルブールへの出撃は停戦の発効に伴って実施されなかった。 結局、この戦争を通じて海外で発生した海戦はただ一つである。北ドイツ連邦の砲艦「メテオーア」は、当時はスペイン領であったキューバ島のハヴァナに停泊していた。その近海で9月7日、フランスの通報艦「ブーヴェ」と交戦したのである。どちらの艦も損害を被ったが、いずれも祖国への帰還を果たした。 北ドイツ連邦のコルヴェット「アウグスタ(ドイツ語版)」は戦争末期、北大西洋とビスケー湾でフランスの補給艦と交戦した。またも艦長は「ニュンフェ」から「アウグスタ」に転任したヴァイクマン大佐であった。その指揮下、同艦は敵船1隻を撃沈し、さらに2隻を拿捕してドイツへ送り出すことができた。しかし「アウグスタ」はスペイン北部のヴィーゴで載炭していた時、フランスの諸艦に出航を阻まれる。同艦がドイツへ帰還したのは、ようやく停戦後のことであった。
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