北ノ庄攻め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 15:39 UTC 版)
天正11年(1583年)4月、秀吉は越前北ノ庄の柴田勝家を攻めた。家康が秀吉に宛てた書状には「はた又、久太郎(秀政)方砦へ、柴田取りかかり候のところ、すなはち合戦に及び、切り崩され、あまた討捕られ候えば、定めて比類なき儀、心地よく候、云々」と秀政の軍功を褒めている。戦後、従五位下・左衛門督に叙任。従兄弟の六右衛門が一向宗蓮照寺住職となっていた関係で、本願寺方との交渉をも受け持った。
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