主要な船舶の出航、寄港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 05:03 UTC 版)
「ブレーマーハーフェン」の記事における「主要な船舶の出航、寄港」の解説
船舶の出航・寄港は、海洋都市ブレーマーハーフェンにとって常に重要である。重要な船舶の場合、数千人の見物客が訪れることもある。 1827年に最初の船舶として、スウェーデンの帆船「Lyk good」がブレーマーハーフェンに寄港した。1830年にアルター・ハーフェン(旧港)が完成後、最初に寄港したのはアメリカのスクーナー「ドレイパー」であった。1837年に海水浴客の輸送が始まり、1847年に外輪船「ワシントン」が寄港している。ブロンミー提督(ドイツ語版、英語版)の艦隊が1849年から1853年までここに停泊した。1854年には76,875人の移民がヨーロッパからブレーマーハーフェンを経由して出立した。北ドイツ・ロイドが1857年に設立され、ニューヨークまたはボルチモア行きの定期便を運行した。最初に使われた船は「ブレーメン 1」であった。北ドイツ・ロイドの他の船舶は、1875年就航の「ホーエンツォレルン」、1881年就航の「エルベ」、1897年にブルーリボン賞を獲得した「カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロッセ」があった。 1885年に「ザギッタ」がドイツ初の遠洋漁業船として就役した。同じ年にゲーステミュンデから世界初の海外向けタンカー「アンドロメダ」がニューヨークに向かって出港した。タンカー輸送のパイオニアである船主のリーデマンは、スタンダード・オイル(後のエッソ)とともにドイツの石油輸送の重要な担い手であった。1886年、最初の帝国郵便船は東アジアに向かって出港した。 1902年に北ドイツ・ロイドの船「クロンプリンツ・ヴィルヘルム(ドイツ語版、英語版)」が、1929年には「ブレーメン」と「オイローパ」が就役した。 加工船「ヤン・ヴェレム」により、1936年から捕鯨が重要性を増した。 1945年からアメリカ軍の軍隊輸送船の時代が始まる。95隻の船が何千回もこの港に着岸した。バナナ汽船は、1949年から約500隻の冷蔵船により、約5,000回にわたってバナナを輸送した。1958年、エルヴィス・プレスリーがこの街に到着した。 1950年「グリップスホルム」によって旅客輸送が再開された。1951年に「アメリカ」、1953年にブルーリボン賞受賞船「ユナイテッド・ステーツ」、1955年に「セブン・シーズ」がその任を担った。 1957年、空母「フォレスタル」が寄港した。その後、1959年に旅客船「ブレーメン(ドイツ語版、英語版)」が続き、1964年には「インジ」がその積み荷を降ろした。1966年には旅客船「オイローパ(ドイツ語版、英語版)」が就航した。 1966年にフェリー「プリンス・ハムレット」がハリッチュ(英語版)へ、「ローラント・フォン・ブレーメン」がヘルゴラント島へ、さらに1970年には「プリンス・オベロン」がハリッチュへ運航した。1970年には旅客船フランスが、1987年にクルーズ客船「クイーン・エリザベス2」が寄港した。 ザイルは1986年から定期的に開催される主要なイベントで、ウィンドジャマーのパレードが行われる。 2011年、世界最大の自動車運搬船「ファウスト」がユーバーゼーハーフェンに寄港した。 2006年、当時世界最大級のコンテナ船の1つであった「エマ・マースク」が、2009年にクルーズ客船「クイーン・ヴィクトリア」が、2012年にコンテナ船「CMA CGM マルコ・ポーロ」が来港した。
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