海上公衆通信の開始とは? わかりやすく解説

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海上公衆通信の開始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 07:46 UTC 版)

船舶無線」の記事における「海上公衆通信の開始」の解説

1900年明治33年2月オランダとの国境にあるドイツボルクム島灯台海岸局、ボルクム・リフ灯台船無線局北ドイツ・ロイド汽船会社大西洋航路客船カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロッセ号に船舶無線局を設置して公衆通信電報)の試験始めた1900年4月25日マルコーニ海上公衆通信商用化専業とする、マルコーニ国際海洋通信会社Marconi International Marine Communication Company)を分社させた。そして1900年5月15日より上記3つの無線施設使って世界初公衆通信電報サービス)をスタートさせた。恒久施設による海上公衆通信ビジネスはこうして達成されのである

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海上公衆通信の開始

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船舶無線」の記事における「海上公衆通信の開始」の解説

海軍中心とした我が国無線機開発その実用化は見事な成果収めた戦争備えてこれまで逓信省無線実験中止されていたが、それは海軍省無線混信与えないためである。 1907年(明治40年)、終戦無線研究再開した逓信省公衆通信電報サービス)の創業準備着手した全国郵便局有線電信士より新たに無線官吏逓信省職員無線通信士)の希望者を募り通信官吏練習所養成教育スタート。また無線設備設計設置にはこれまでどおり佐伯美津留がその任にあたった1908年明治41年5月16日初めての船舶局東洋汽船所属天洋丸(呼出符号TTY)と、初めての海岸局銚子無線電信局(呼出符号JCS)が開業した横浜出航した天洋TTYは、さっそく電報交換試みたが、銚子無線電信JCSつながらないまま東京湾から出てしまい、失意のままに香港去っていった。同年5月27日ライバル社となる日本郵船所属丹後丸(呼出符号YTG)が開局銚子無線電信JCSとの間で、初め海上における公衆通信電報サービス)が交わされた。 無線に関する最初法律電信法」および省令で『無線電信政府管掌する』と定めていたため、民間商船中に逓信省無線局船舶局)が置かれ逓信省無線官吏乗務しのである丹後丸YTGの無線局長は逓信省米村嘉一郎だった。

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