海上公衆通信の開始
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1900年(明治33年)2月にオランダとの国境にあるドイツのボルクム島灯台海岸局、ボルクム・リフ灯台船無線局、北ドイツ・ロイド汽船会社の大西洋航路客船カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロッセ号に船舶無線局を設置して公衆通信(電報)の試験を始めた。 1900年4月25日、マルコーニは海上公衆通信の商用化を専業とする、マルコーニ国際海洋通信会社(Marconi International Marine Communication Company)を分社させた。そして1900年5月15日より上記3つの無線施設を使って世界初の公衆通信(電報サービス)をスタートさせた。恒久施設による海上公衆通信のビジネス化はこうして達成されたのである。
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海上公衆通信の開始
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海軍を中心とした我が国の無線機開発とその実用化は見事な成果を収めた。戦争に備えて、これまで逓信省の無線実験は中止されていたが、それは海軍省の無線に混信を与えないためである。 1907年(明治40年)、終戦で無線研究を再開した逓信省は公衆通信(電報サービス)の創業準備に着手した。全国の郵便局の有線電信士より新たに無線官吏(逓信省職員の無線通信士)の希望者を募り、通信官吏練習所で養成教育をスタート。また無線設備の設計・設置にはこれまでどおり佐伯美津留がその任にあたった。 1908年(明治41年)5月16日、初めての船舶局、東洋汽船所属の天洋丸(呼出符号TTY)と、初めての海岸局、銚子無線電信局(呼出符号JCS)が開業した。横浜を出航した天洋丸TTYは、さっそく電報交換を試みたが、銚子無線電信局JCSとつながらないまま東京湾から出てしまい、失意のままに香港へ去っていった。同年5月27日にライバル社となる日本郵船所属の丹後丸(呼出符号YTG)が開局。銚子無線電信局JCSとの間で、初めて海上における公衆通信(電報サービス)が交わされた。 無線に関する最初の法律「電信法」および省令で『無線電信は政府管掌する』と定めていたため、民間商船の中に逓信省の無線局(船舶局)が置かれ、逓信省の無線官吏が乗務したのである。丹後丸YTGの無線局長は逓信省の米村嘉一郎だった。
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