海上公衆通信の商用化達成
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「グリエルモ・マルコーニ」の記事における「海上公衆通信の商用化達成」の解説
陸上には既に網の目のように電信線が張り巡らされ、またドーバー海峡や大西洋にも海底ケーブルが敷設されていたため、無線による遠距離通信ビジネスを軌道に乗せるには相当時間が掛かるだろうと予感していた。公衆通信サービスへの参入には船舶相手が近道だとマルコーニは考えるようになった。そして商用の恒久施設として、ドイツで海岸局と船舶局の開設を準備していた。 1900年2月にオランダとの国境にあるボルクム島灯台海岸局、ボルクム・リフ灯台船無線局、それに北ドイツ・ロイド汽船会社が誇る大西洋航路の大型客船カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロッセ号に船舶無線局を設置して無線電報の試験を始めた。 1900年4月25日にマルコーニは海上公衆通信の商用化を目的とする、マルコーニ国際海洋通信会社MIMCC(Marconi International Marine Communication Company)を分社させた。そしてこれらのテストを担当し、1900年5月15日より電報サービスの営業を開始した。5月15日から10月30日までの5箇月半で、565通の無線電報を取扱ったと、ロンドンのthe Society of Artsにおいてマルコーニが発表している。恒久施設による海上公衆通信のビジネス化はこうして19世紀最後の年に達成されたのである。 20世紀となり、1901年5月にビーバー・ライン社の客船レイク・チャンプレイン号、同年6月にキュナード・ライン社の大型客船ルカーニア号、9月にはその姉妹船カンパニア号にもマルコーニ局が置かれた。特にキュナード・ライン社は無線電信が乗客への電報サービスの提供だけでなく、船の安全航行や社内連絡にも大いに役立つことを知り、自社の船に続々とマルコーニ局を開設した。マルコーニ国際海洋通信会社MIMCCによって海上移動の公衆通信サービスは順調に発展していった。なお1924年にロンドンのRoyal Society of Artsで講演したマルコーニ氏は、1901年からのおよそ8年間、同社の海上公衆通信には波長120m(2.5MHz)を使っていたと語っているが、実際には1912年まで国際波長300m(1000kHz)の補助用として短波を使っていたようである。
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