アドルフ・フォン・メンツェルとは? わかりやすく解説

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メンツェル【Adolph von Menzel】

読み方:めんつぇる

1815〜1905]ドイツ画家初め主に版画挿絵を、のちに印象派先駆評される油絵描いたフリードリヒ大王時代歴史風俗描いた作品が多いが、工場労働者描いた鉄工場」などでも知られる


アドルフ・フォン・メンツェル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/09 03:24 UTC 版)

アドルフ・フォン・メンツェル
Adolph von Menzel
生誕 (1815-12-08) 1815年12月8日
プロイセン王国
ブレスラウ
(現在の ポーランド、ヴロツワフ)
死没 1905年2月9日(1905-02-09)(89歳没)
ドイツ帝国
プロイセン王国
ベルリン
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アドルフ・フリードリヒ・エルトマン・フォン・メンツェル(Adolph Friedrich Erdmann von Menzel, 1815年12月8日 - 1905年2月9日)は、ドイツ画家挿絵画家版画家

略歴

プロイセン王国ブレスラウ(現在のポーランド、ヴロツワフ)で1815年に生まれる[1]。父親は石版画家。1830年に一家はベルリンに移る。1833年、プロイセン芸術アカデミーに通うが、すぐに失望し、独学した。1839年から1842年の間に掛けてフリードリヒ大王についての生涯を描いた400点にのぼる壮大な挿絵版画を歴史家フランツ・クーグラーの著書『フリードリヒ大王伝』のために創出した。この創作物は彼にとって決定的な転機となり、以降、プロイセン宮廷を中心に仕事の依頼が増える。『舞踏会の晩餐』、『サンスーシ宮殿でのフリードリヒ大王のフルートコンサート』、『ケーニヒスベルクでのヴィルヘルム1世の戴冠式』等の作品でさらなる名声を得た。歴史画や挿絵の他にも労働者の姿を描いた『鉄圧延機工場』、日常的風景を描いた『パリの平日』や『ビアガーデン』等でも知られている。

フランスの芸術アカデミーやイギリスのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの会員。画家として初めて黒鷲勲章を贈られ、貴族に叙せられた。またプール・ル・メリット科学芸術勲章を受賞した。ベルリン大学名誉博士号を授与され、ブレスラウ名誉市民およびベルリン名誉市民に選ばれた[2]。1905年にベルリンで死去した。

作品

関連書籍

  • ヨスト・ヘルマント『メンツェル《サンスーシのフルート・コンサート》 美術に見る歴史問題』神林恒道、三浦信一郎共訳 三元社 作品とコンテクスト 2014

出典

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