ルネサンス: エリザベス朝およびジャコビアン期とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ルネサンス: エリザベス朝およびジャコビアン期の意味・解説 

ルネサンス: エリザベス朝およびジャコビアン期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/19 13:18 UTC 版)

イングランドの演劇」の記事における「ルネサンス: エリザベス朝およびジャコビアン期」の解説

詳細は「イギリス・ルネサンス演劇」を参照 イギリス・ルネサンス期(英語版)として知られている時期(だいたい1500年から1660年にかけて)は、演劇、そしてすべての芸術最盛期であった最初期の英語で書かれ喜劇候補作となるのは以下の2作品だ - ニコラス・ユーダル(英語版)作『ラルフ・ロイスター・ドイスター(英語版)』(1552年頃)と、作者不詳(ジョン・スティル(英語版)作と推定され事がある)の『ガマー・ガートンの縫針』(1566年頃)。これらは16世紀作品とされるエリザベス1世治世下(1558-1603年)およびジェームズ1世治世下(1603-25年)、すなわち16世紀後期から17世紀初期にかけての期間は、ロンドン中心とした文化(それは宮廷風でありながら大衆的でもあった)が優れた詩と演劇とを産み出した劇作家たちはイタリアの型に興味そそられており、イタリア人俳優著名な集団が、ロンドン定住していた。言語学者辞書学者のジョン・フローリオ(英語版)(彼の父親イタリア人であった)はジェームズ1世下の宮廷にて語学個人教師務めていた。フローリオはウィリアム・シェイクスピア友人であり、影響与えた可能性がある人物であったが、彼がイタリア語およびイタリア文化多くイギリスへ伝えていた。フローリオはミシェル・ド・モンテーニュ作品を英語に翻訳した人物でもあった。エリザベス朝最初期劇作品中にはトマス・サックヴィル作『ゴーボダック英語版)』(1561年)と、トマス・ノートン(英語版)・トマス・キッド英語版)による復讐悲劇スペインの悲劇英語版)』(1592年)が含まれる。これらの作品シェイクスピアの『ハムレット』影響与えたシェイクスピアはこの時期詩人劇作家として今のところでは無比存在として際立っている。彼は専業文人ではなかったし、そしておそらくはグラマースクールでの教育受けただけである。彼が執筆始めた時、弁護士でも政治家でもなかったし、当時イギリス劇壇牛耳っていた「大学才人」でもなかった。しかし彼は大変な才能があり信じがたいほど多才であった、そしてこの素性怪しい「舞台揺るがす者」("shake-scene")をあざけったロバート・グリーンのようなプロ劇作家たちを超える存在となった。彼自身俳優であり、自作の劇を上演する劇団運営深くかかわっていた。この時期大多数劇作家たちは、特定のジャンル専門に扱う傾向があった、歴史劇専門、あるいは喜劇ないし悲劇専門というように。しかしシェイクスピアは、これら3つのジャンル全ての作品産みだしたという点で珍しい存在である。彼の38作ある戯曲には、『ハムレット』(1599-1601年)、『リア王』(1605年)などの悲劇、『真夏の夜の夢』(1594-96年)、『十二夜』などの喜劇、『ヘンリー四世第1部・第2部1597年以前-99年)などの歴史劇含まれる。これに加えて彼は「問題劇」や「ビター・コメディ(またはダーク・コメディ)」と呼ばれる作品書いたこの中には『尺には尺を』(1603-04年頃)、『トロイラスとクレシダ』(1602年頃)、『冬物語』(1610-11年頃)、そして『終わりよければ全てよし』(1603-04年頃)の4作品他の作品交じり含まれている。彼の作品大半成功おさめたとはいえ、「最も優れた作品」と見なされてきた作品シェイクスピア書いたのは晩年期であったその時期に作品には『ハムレット』(1600-02年頃)、『オセロ』(1602年)、『リア王』(1604-06年頃)、『マクベス』(1599-1606年頃)、『アントニーとクレオパトラ』(1606-07年)、そして(共作者なしで)彼が書いた最後作品『テンペスト』(1610-11年頃)が含まれる。 この時期重要な劇作家は、シェイクスピア以外では、クリストファー・マーロウ、トマス・デッカー(英語版)、ジョン・フレッチャー、フランシス・ボーモント(英語版)、ベン・ジョンソン、そしてジョン・ウェブスターがいる。 マーロウシェイクスピアより数か月早く誕生しただけの同時代人であるが、マーロウが自らの作品の主題として、博学者道徳的問題に他の題材以上に注目していたという点において、両者異なっている。マーロウ近代科学によって開かれた最先端領域と、ドイツ題材基づいた図画魅了され畏敬の念抱いていた。そして彼は、知識への渇望と、人が生み出した科学技術の力を限界へと推し進めてこうとする欲望取りつかれた科学者魔術師描いたフォースタス博士悲劇』(1592年頃)によって、ファウスト物語イギリスへ紹介したのであるジョンソン風刺劇、とりわけ『ヴォルポーネ(英語版)』(1605-06年)、『錬金術師英語版)』(1610年)、『浮かれ縁日/バーソロミュー・フェア(英語版)』といった作品によってこの時代で最も知られている劇作家である。ジョンソン宮廷仮面劇俳優たちが仮面着用して演じ美文調の演劇[訳語疑問点])をもしばしば執筆したジョンソン美学的思想中世ルーツがあり、登場人物気質四体液説基づいている[訳語疑問点]。しかしラテン文学典型的な人物描写からも影響受けていた。それゆえジョンソン典型的人物カリカチュアを創り出す傾向があったが、登場人物たちは「非常に生き生き描写されているため典型的人物超越する存在となっている」。ジョンソンスタイル英語版)の支配者であり、才能めざまし風刺作者であったジョンソン手掛けた著名な喜劇作品である『ヴォルポーネ』は、金をだまし取らんとする人々一群如何にして最高の詐欺師騙されるのかを、悪徳により罰せられる悪徳を、報酬分け与える美徳[訳語疑問点]を読者たちに見せている。 ジョンソンスタイル踏襲する劇作家たちの中にはボーモント・アンド・フレッチャー(英語版)(フランシス・ボーモント(英語版)とジョン・フレッチャーを指す)も含まれるボーモント手掛けた喜劇作品である『ぴかぴかすりこぎ団の騎士英語版)』(1607-08年頃)は、隆盛する中流階級、そして特にその中で文学趣味口述筆記させるふりをするものの、その実文学については全く無知である成金たちを風刺している。物語の中で、食料品屋の夫婦読み書きできない自分たちの息子舞台で主役演じさせようとしてプロ俳優たちと口論するジャコビアン期の演劇風刺劇の他に人気があったのは復讐劇であった。このジャンルジョン・ウェブスターによって広められたが、シェークスピア『ハムレット』や『タイタス・アンドロニカス』をも含む。ウェブスター代表作である『白い悪魔』(1612年)と『モルフィ公爵夫人英語版)』(1612-13年)は気味悪く穏やかではない作品である。ウェブスター人間本質を最も完膚なきまでに暗く描くことによって、エリザベス朝およびジャコビアン期の劇作家として名声得たのであるウェブスター悲劇作品人間恐ろしいまでの像を読者示している。そして自作の詩「不死ささやき英語版)」(1918-19年)の中で、T・S・エリオット人々記憶に残るようにこう言っている、ウェブスターはいつも「皮膚の下の頭蓋骨」(the skull beneath the skin、2行目)を見ていたと。ウェブスター劇作品は大体18-19世紀には人々記憶から忘れられていたが、20世紀に入ると「強い関心復活」(a strong revival of interest) が起こり、再び人々目に触れるようになった

※この「ルネサンス: エリザベス朝およびジャコビアン期」の解説は、「イングランドの演劇」の解説の一部です。
「ルネサンス: エリザベス朝およびジャコビアン期」を含む「イングランドの演劇」の記事については、「イングランドの演劇」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ルネサンス: エリザベス朝およびジャコビアン期」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ルネサンス: エリザベス朝およびジャコビアン期」の関連用語

ルネサンス: エリザベス朝およびジャコビアン期のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ルネサンス: エリザベス朝およびジャコビアン期のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのイングランドの演劇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS