ルネサンスが起こった都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 00:09 UTC 版)
「ルネサンス」の記事における「ルネサンスが起こった都市」の解説
イタリアでルネサンス文化が開花したのは、フィレンツェ、ミラノ、ローマ、ヴェネツィア、ナポリ、フェッラーラなどの都市である(すべての都市ではない)。学芸を愛好し、芸術家たちを育てたパトロンとして、フィレンツェのメディチ家、ミラノのスフォルツァ家、フェッラーラのエステ家などが知られている。15世紀末にはサヴォナローラの改革によりフィレンツェの芸術は衰退し、フランスとの抗争でミラノのスフォルツァ家も追放された(1515年)が、このころには教皇の中にもルネサンス教皇と呼ばれる文芸保護に力を尽くした教皇が出現し、ローマではサン・ピエトロ大聖堂などの建設が行われ、多くの芸術家を集めることになった。 ローマ略奪(1527年)によりローマは一時荒廃したが、ヴェネツィア共和国やトスカーナ大公国(フィレンツェ)で美術の隆盛が見られた。 宗教改革により打撃を受けたローマ教会も、トリエント公会議により体制を立て直し、新大陸からもたらされる莫大な富を背景に、16世紀から17世紀にかけてバロック美術の時代に入る。しかし、文化の中心地は次第にフランスをはじめ北方の国へ移っていった。 ルネサンスのイタリアは文化の先進国としてヨーロッパを近代に導く役割を果たしたが、国内は教皇領や小国に分裂し、またイタリア戦争後は外国の勢力下に置かれたため国家統一が遅れ、政治・社会の近代化では立ち遅れる結果になったのである。1600年には宇宙の無限性を唱えたブルーノが異端として火刑に処せられた。イタリアにおいては自由な科学研究も困難であることが示され、ルネサンスの時代は終焉を迎えたというべきであろう(ガリレオ・ガリレイの項目も参照)。 ルネサンスの時代は明るい時代ではなく、ペストの流行や(マキャヴェッリが『君主論』を著したことで知られるように)政争、戦乱の続く波乱の時代であった。文化を享受していたのも宮廷や教皇庁など一部の人々に過ぎず、魔術や迷信もまだ強く信じられていた。
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