ポカホンタスの美談とは? わかりやすく解説

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ポカホンタスの美談

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 14:24 UTC 版)

バージニア州の歴史」の記事における「ポカホンタスの美談」の解説

スミス食料取引成功し落胆した開拓者達を指導したので、最初の年植民地持続させた功績スミス帰せられている。スミス10数年後になって突然、「この際ポウハタン族処刑されそうになったが、酋長の娘ポカホンタス助けられた」と公言し始め、これは植民政策美化大い援用された。しかし現在、ポウハタン族やその支族マッタポニ族はこれを「まったくのでたらめである」としている。 1609年8月スミス事故怪我し数ヶ月後には治療のためにイギリスに戻らざるを得なくなった歴史の皮肉の一つで、スミス去った後に干ばつインディアンイギリス人開拓者食糧不足となり、自然災害イギリスからの補給妨げられた。

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ポカホンタスの美談

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 05:46 UTC 版)

ジョン・スミス (探検家)」の記事における「ポカホンタスの美談」の解説

スミス著書にある「ポカホンタスが身を挺(てい)してスミス処刑から救った」という逸話については、スミスの著作唯一の資料であり、1860年代以降白人の間でその真相について疑い表明する者が多くなった。その疑い一つ理由は、バージニアに関する著作が2冊、早く出版されにも拘らず、この出来事に関する記述無かったことである。ポカホンタスによって救われということスミス書き記したのは、出来事から10年近い後の1616年アン王妃ポカホンタス威厳持って待遇してくれるよう懇願した手紙の中のことであったポカホンタスこの年から翌年にかけてイギリス渡り国王謁見していた。スミスの話を出版するまでの空白時間は、スミスポカホンタス印象強くするためにその出来事誇張した造り上げたという可能性がある。しかし、ルメイ最近著作では、スミス初期出した本は主に地形民俗学的な記述であり、個人的な経験差し挟む余地無かったので、1616年時点まで出来事を記す理由無かったとしている。 19世紀後半著名なハーバード歴史家ヘンリー・ブルックス・アダムズは、スミス主張中に英雄振り見ようとした。アダムズは、スミス述べポカホンタスに関する話は徐々に潤色されていき、「現代には有り得ないような厚かましい嘘」を作り上げた語ったスミス誇張する傾向があったということでは、歴史家達が概ね一致するところであるが、スミス証言その人生の基本的真実を語ることでは首尾一貫していると思われるアダムズスミス対す攻撃は、アメリカ南部の歴史象徴貶める試みであり、南北戦争向かっていた時代政治的背景考えて動機付けられたものであったアダムズ影響受けてスミス攻撃したジョン・パルフリーは、アメリカ基礎築いたものとして南部入植対抗するニューイングランド位置付け評価していた。スミス証言真贋めぐっては何世紀にも亘って議論続けられることになった歴史家のカミラ・タウンゼンドは、同時代の人々評価としてスミスが「評判ほら吹き」であり、大胆不敵さ装い彼の仲間移住者たちの中でもっともインディアンをこき使いたがる傾向指摘している。 また、この逸話自体オリジナルなものでもなく、実際にこの美談の「元ネタになったとみられるエピソードスミス以前にある。1539年アメリカ南東部探検したスペイン人エルナンド・デ・ソトは、フロリダ出会ったオランダ人捕虜フアン・オルティスから「インディアンのヒッリヒグア酋長生きたまま火焙りにされかけたが、酋長の娘頼みで命を救われた」というまったく同じ筋書き真偽不明の話を聞かされているのであるこの美談の中でスミスは「救出された」と述べているが、「実際には単に部族採用としての、死と再生象徴する儀式加わっただけだ」とする専門家の意見指摘されている。しかし、デイビッド・A・プライス著したジェームズタウン愛憎」では、これが単なる推測過ぎずポウハタン儀式付いては(白人側には)ほとんど知られていないこと、北アメリカの他のインディアンにはそのような儀式に関する証拠がないことを挙げている。 これに対し歴史家アンジェラ・L・ダニエル・“シルバースター”は、ポウハタン族構成部族のひとつマッタポニ族のリンウッド・“リトルベアー”・カスタロー博士との共著の中で、ポカホンタス当時11歳だったことを挙げ、「ポカホンタス子供であり、子供そのような式典儀式出席することは許されていない」と述べ、この記述否定しており、さらにカスタロー博士の兄でマッタポニ族の酋長カール・“ローンイーグル”・カスタローは、この著書寄せて、「インディアン対す差別と、我々の見解嘲笑されるではないかという恐れのため、我々はこれまでポカホンタス実話を語ることを考えてこなかった」と述べている。 また、スミスは「ポウハタン酋長彼の処刑命じたと書いているが、そもそもインディアン酋長は「指導者ではなく、またインディアン社会に「処刑命じる」ような権力者はいない。また、これが「儀式」だったとすれば、これを取り仕切るのは呪い師であって酋長ではない。ポウハタン酋長部族民にスミスの「処刑」を「命令するというのもインディアン社会ルールからして不自然である。 ジョン・スミスインディアン酋長首長のような部族長」ととらえ、終始一貫してそのように扱い植民地拡大有利にし、部族支配するために酋長人質にし、命令し脅迫している。しかしインディアン社会合議制民主主義であり、酋長は「調停者であって支配者」ではない。植民地領土についてスミスポウハタン酋長取り決めをしたとしても、これは部族民の総意とりつけたものではない。この地域インディアンは、部族決めごとはすべて「ロングハウス」という会議場の中で、「大いなる神秘」のもと、「会議の火」を囲んで聖なるパイプ」を回し飲みし酋長部族民の合議のもとに決定するのであるそもそもスミス自身インディアン社会理解していない。 スミス白人ポウハタン土地上陸したとき、ポウハタン酋長たちポウハタン族はこの侵略者たちを歓待し「兄弟」として食べ物分け与え、彼らを援助したインディアンのすべてを共有する文化おかげで生き延びたスミスは、彼らを「裸の野蛮人」と呼び謀略駆使してその領土奪い虐殺したのであるポカホンタス出身部族ポウハタン族のロイ・クレイジーホース酋長は、部族HPで「ポカホンタス神話」と題しスミスロルフが「ポウハタン食い物にした」と述べ、またこのなかでロンドン時代に偶然スミス会ったポカホンタス激怒し、彼を「嘘つき」と叫んだ記録指摘し、「スミスロンドン関心を得るためにこのような作り話捏造したのだろう」としている。 真実が何であったにしろ、このポカホンタスとの出会いは、スミス初めとするジェームズタウン植民者インディアンとの友好関係をほんの一時期だけ築いた。しかし、武力背景とした白人植民地拡大は、インディアンにとっては侵略に他ならなかった。白人敵対するインディアン部族次第増え植民地戦争はすぐに再開されていく。

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