ボウリング場の戦いとは? わかりやすく解説

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ボウリング場の戦い(多富洞の戦い)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:34 UTC 版)

釜山橋頭堡の戦い」の記事における「ボウリング場の戦い(多富洞の戦い)」の解説

詳細は「大邱戦い英語版)」、「ボウリング場の戦い(英語版)」、および「多富洞の戦い (1950年8月)」を参照 韓国第1師団北朝鮮軍対す遅滞戦闘7月24日まで続けていたが、北朝鮮第15師団出現による戦線整理後退した7月25日韓国第2軍団隷下再編成行い6,000規模兵力となり、師団長白善燁大佐から准将昇進したその後第1師団釜山橋頭堡後退して、倭舘北側から洛井里にかけての洛東江岸を占領し釜山円陣守備就いた。南から第15連隊崔榮喜大佐)、第11連隊金東斌大佐)、第12連隊朴基丙大佐金點坤中佐)を配備し五常学校司令部置いた。しかし北朝鮮第13師団第15師団攻勢師団後退した8月6日頃、白准将大邱防衛抵抗線定めにあたり北朝鮮軍進軍ルート大邱中心部から北へ28キロメートルほどの山間集落、多富洞(タブドン)の隘路予測し第1騎兵師団担当する倭館303高地烏山)からはじまりおよそ20キロメートル防御線を決定した韓国第1師団正面には、北朝鮮第13師団第15師団全力、第105戦車師団主力指向し、のちに北朝鮮第1師団一部第3師団主力追加された。さらに金泉には第2師団集結中であり、韓国第1師団は4個師団上の北朝鮮軍を受け持つことになった戦力比兵力は3倍、火力は4倍、さらに火砲性能戦車有無考慮すれば6~7倍の戦力差があり、北朝鮮軍優勢であった。 この戦線突破すれば大邱まで6時以内の距離で、大邱陥落釜山円陣内の環状交通網分断し釜山橋頭堡そのもの崩壊させかねなかった。韓国第1師団8月13日現地展開し、多富洞から南に8キロメートル東明国民学校司令部置いた8月中旬から激し戦闘続き高地取り合いにより戦線前後した韓国軍火力乏しく北朝鮮軍数個師団攻撃苦しみ第8軍繰り返し増援要請出していた。8月17日霊山での戦い終えたアメリカ27連隊大邱経由し多富洞に急遽移動した。第27連隊のマイケレス中佐大邱第8軍ウォーカー中将直接命令受けていた。マイケレス中佐部隊は第27連隊中核として戦闘団形成しており、完全編成の歩兵3個大隊、第73戦車大隊C中隊M26パーシング23輌)、第37野砲大隊155 mm 榴弾砲12門)、第8野砲大隊105 mm 榴弾砲12門)、弾薬無制限に使用できた。専属戦術航空統制班が配属されており、韓国第1師団よりも強力な戦力を持つ連隊戦闘団であった。 白准将とマイケレス中佐共同して陣地構成し谷間左右に韓国軍谷底の幅1キロメートルほどの正面アメリカ軍陣地構えた。これは朝鮮戦争最初米韓連合作戦で、アメリカ軍韓国軍指揮するものではなく韓国軍師団アメリカ軍連隊配属され対等な立場での増援だった。 8月18日夜から北朝鮮第13師団攻撃開始戦車先頭激し攻撃繰り返された。狭い谷間開戦以来初めての戦車対戦車戦闘が行われた。道路上前進してくるT-34-85発砲音谷間こだまし通過する列車のような音を立て砲弾飛翔し炸裂する様からこの戦場は「ボウリング場」と呼ばれるようになった。昼は第5空軍による空爆により北朝鮮軍行動抑えられ、夜は北朝鮮軍攻撃というパターン七日繰り返された。 8月19日北朝鮮攻勢が多富洞に向いていると判断した第8軍ウォーカー中将は第23連隊英語版)を増派し、第27連隊後方に縦深陣地築いた19日夜半には韓国軍第8師団10連隊高根弘中佐)の先遣隊である第2大隊(金淳基少佐)も増援された。白准将配備明日にし、第2大隊東明学校校庭露営した8月20日1時頃、山方面から北朝鮮第1師団14連隊浸透し師団司令部襲撃した。白准将指示第2大隊は敵部隊撃退した。また同日北朝鮮第15師団義山方面転進した8月21日アメリカ27連隊左翼側に布陣していた韓国軍1個大隊無断撤退する事態になり、戦線崩壊しかかった。白准将マラリア高熱ありながらも自ら督戦し、突撃参加し高地奪回した。夜、北朝鮮軍が大夜襲仕掛けたが、アメリカ27連隊撃退した8月22日韓国15連隊河岸堤防確保韓国11連隊北朝鮮第13師団砲兵指揮官の鄭旭中佐が投降した。鄭の供述所持していた作戦図によって砲兵陣地明らかになり、アメリカ空軍105ミリ砲によって破壊した8月23日北朝鮮14連隊山方面から浸透アメリカ23連隊砲兵部隊陣地襲撃した。第23連隊数次夜襲撃退し、夜が明けると第5空軍支援と共に反撃し重装備持たない北朝鮮軍撃破した午後に10連隊主力到着。さらに韓国12連隊夜間攻撃行い、遊鶴山奪回した8月27日韓国10連隊山一帯に浸透した北朝鮮14連隊撃滅8月30日韓国第1師団陣地アメリカ第1騎兵師団引き継いだ後、新寧陣地移動した

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