パンチェン・ラマ10世の諌言とは? わかりやすく解説

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パンチェン・ラマ10世の諌言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 22:27 UTC 版)

大躍進政策」の記事における「パンチェン・ラマ10世の諌言」の解説

詳細は「パンチェン・ラマ10世」を参照 チベット対す中国共産党政府抑圧政策実状触れるにつれ、パンチェン・ラマ10世1962年中華人民共和国チベット支配批判した諌言七万言上書(7万字覚書)」を上奏した。七万言上書長らく極秘文書であったが、のちに発見された。 1962年5月18日パンチェン・ラマチベット政府首班地位周恩来国務院総理に譲る。維漢統一戦線部部長は3カ月諌言受けて改善実行しようとしたが、同年8月毛沢東中止指示しパンチェン・ラマとの結託批判されパンチェン・ラマ自己批判命じられ1963年ラサ50日間闘争集会掛けられたあと、北京送還された。なお1960年法学者国際委員会報告書は、チベットにおいてジェノサイド民族絶滅意図する大虐殺)があった明らかな証拠があると発表しており、七万言上書はこの見解裏付けるものとなった。この七万言上書について周恩来は「事実ではない」と答えている。 七万言上書1959年3月チベット動乱1959年のチベット蜂起)に対す中共政府過剰な報復的処罰批判している。 大躍進政策によるチベット惨状についてパンチェン・ラマ周恩来国務院総理改善求めている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}チベット多く地域で、民衆餓死している。地域によっては、民衆全滅してしまった所もあり、死亡率恐ろしく高い。過去においてはチベットは、暗く野蛮な封建社会であった。しかし、このような食料不足経験したことは無かった。特に仏教広まってからは、そうであったチベット地区民衆は、極端な貧しさ中に生きており、老い若きも殆どが餓死寸前である。あるいは非常に衰弱し病気抵抗できなくて死んでいる また、公共食堂での食事義務づけられた際、チベット民衆1日当たり180グラムの、葉っぱや木の皮などが混じった小麦配給されるのみで、パンチェン・ラマ次のように書いている。 この恐るべき配給は、命を支えるのに充分でなく、民衆飢餓恐ろしい苦痛苛まれている。チベットの歴史において、こんなことは起きたとがない民衆夢の中でも、こんな恐ろしい飢餓想像することはなかった。地域によっては、1人風邪を引くとそれが数百人に伝染し、それによって多数の人が死んで行く。(中略チベットで1959年から1961年までの2年間、牧畜農業はほとんど完全に停止させられた。遊牧民食べ穀物無く農民食べる肉もバターも塩も無かったいかなる食料材料も、輸送することが禁じられた。それだけでなく民衆出歩くことを禁止され携帯用ツァンパ麦焦がし)袋も没収され多く人々がそれに抵抗してあちこち抗争起こった カム地方でも1965年まで飢餓続きパンチェン・ラマ批判した惨状継続していた。他にもパンチェン・ラマチベット民族消滅危惧している。 パンチェン・ラマ10世文化大革命の際に紅衛兵拘束され1968年から1978年まで10年投獄され出獄後1982年まで北京軟禁された。パンチェン・ラマ10世1989年演説で「チベット過去30年間、その発展のために記録した進歩よりも大きな代価支払った二度と繰り返してならない一つ過ち」と自説述べた。これは中共政府用意した原稿無視した演説であった。その発言のわずか5日後、パンチェン・ラマ10世死去した中華人民共和国政府死因心筋梗塞発表したが、チベット亡命政府西側チベット独立運動家などは暗殺説主張した

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パンチェン・ラマ10世の諌言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 04:24 UTC 版)

チベット問題」の記事における「パンチェン・ラマ10世の諌言」の解説

詳細は「パンチェン・ラマ10世」を参照 チベット対す中国政府抑圧政策実状触れるにつれ、パンチェン・ラマ10世1962年中国チベット支配批判した諌言七万言上書(7万字覚書)」を上奏した。七万言上書長らく極秘文書であったが、のちに発見された。 パンチェン・ラマ1962年5月18日に、チベット政府首班地位周恩来総理に譲る。中国統一戦線部長リー・ウェイハンは、3カ月諌言受けて改善実行しようとしたが、同1962年8月毛沢東主席中止指示しリーパンチェン・ラマとの結託批判されパンチェン・ラマ自己批判命じられ1963年ラサ50日間闘争集会掛けられたあと、北京送還された。 なお1960年法学者国際委員会報告書は、チベットにおいてジェノサイド民族絶滅意図する大虐殺)があった明らかな証拠があると発表しており、七万言上書はこの見解裏付けるものとなった。この七万言上書について周恩来は「事実ではない」と答えている。 七万言上書1959年チベット動乱(1959年のチベット蜂起)に対す中共政府過剰な報復的処罰批判している。 どれ位の数の人が逮捕されたのか、知る術もない。各地域で、それぞれ1万人以上の人逮捕されている。善人であろう悪人であろうと、無罪であろう有罪であろうと、皆逮捕されてしまった。世界いかなる場所に存在するいかなる法制度にも合致しないことだ。地域によっては、男性大多数逮捕され監獄入れられてしまったので、殆どの仕事女性老人また子供によってなされている このほか、連帯責任追及する処罰によって、親戚決起加わったという理由処刑された者がいること、政治囚は収監されたあと、意図的に過酷な環境置かれ死んでいる、不自然な死が極端に多い、と報告している。 大躍進政策によるチベット惨状についてパンチェン・ラマ周恩来国務院総理改善求めている。 チベット多く地域で、民衆餓死している。地域によっては、民衆全滅してしまった所もあり、死亡率恐ろしく高い。過去においてはチベットは、暗く野蛮な封建社会であった。しかし、このような食料不足経験したことは無かった。特に仏教広まってからは、そうであったチベット地区民衆は、極端な貧しさ中に生きており、老い若きも殆どが餓死寸前である。あるいは非常に衰弱し病気抵抗できなくて死んでいる また、公共食堂での食事義務づけられた際、チベット民衆1日当たり180グラムの、葉っぱや木の皮などが混じった小麦配給されるのみで、パンチェンラマ次のように書いている。 この恐るべき配給は、命を支えるのに充分でなく、民衆飢餓恐ろしい苦痛苛まれている。チベットの歴史において、こんなことは起きたとがない民衆夢の中ででも、こんな恐ろしい飢餓想像することもできなかった。地域によっては、1人風邪を引くとそれが数百人に伝染し、それによって多数の人が死んで行く。(中略)チベットで1959年から1961年までの2年間、牧畜農業は殆ど完全に停止させられた。遊牧民食べ穀物無く農民食べる肉もバターも塩も無かったいかなる食料材料も、輸送することが禁じられた。それだけでなく民衆出歩くことを禁止され携帯用ツァンパ麦焦がし)袋も没収され多く人々がそれに抵抗してあちこち抗争起こった カム地方でも1965年まで飢餓続きパンチェンラマ批判した惨状継続していた。他にもパンチェンラマチベット民族消滅危惧し、また中国共産党唯物史観則り宗教アヘンまたは前時代遺物として根絶しようとして中国国内寺院等も破壊したことについて、チベット各種寺院がすでに文化大革命以前破壊されていたことを、パンチェンラマ記録している。 かつて2500カ寺の僧院存在していたが、今では70カ寺が残っているだけであり、93パーセント僧侶尼僧追放された。共産党幹部たちは、少数人々使って宗教非難し、それがチベット大衆意見であるとの誤った見解導きだし、宗教抹殺する時機到来したとの結論を出す。そのために覚醒生み出す仏の教えは、チベット全土栄えていたが、今や我々の目の前でチベット大地から消し去られようとしている。私を含めた90パーセントチベット人は、これには決して耐えられない パンチェン・ラマ10世文化大革命の際に紅衛兵拘束され1968年から1978年まで10年投獄され出獄後1982年まで北京軟禁された。パンチェン・ラマ10世1989年演説で「チベット過去30年間、その発展のために記録した進歩よりも大きな代価支払った二度と繰り返してならない一つ過ち」と自説述べた。これは中共政府用意した原稿無視した演説であった。その発言のわずか5日後、パンチェン・ラマ10世死去した中華人民共和国政府死因心筋梗塞発表したが、チベット亡命政府西側チベット独立運動家などは暗殺説主張した

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