ハリウッドとの決別とは? わかりやすく解説

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ハリウッドとの決別

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 08:35 UTC 版)

早川雪洲」の記事における「ハリウッドとの決別」の解説

1920年代に入ると、アメリカでは第一次世界大戦後ナショナリズム高揚の中、反日ムードがますます濃くなっていた。ロサンゼルスの街でも排日呼びかける宣伝カー走り、それは洲の自宅前にもやってきた。そんなアメリカで洲の人気徐々に低下しスター地位維持することが困難となっていった。さらに洲の成功面白くないと思う白人少なからずおり、洲の身辺次第不穏なものになり、そんな雰囲気撮影現場でも漂っていた。そのような背景の中で、洲は最も脂の乗りきっている時期過ごしていたにもかかわらずハリウッド対す不信や不安、そして身の危険感じようになった。 そんな洲が直面したのは、自社作品配給していたロバートソン・コール社との関係悪化だった。1921年3月、ロバートソン・コール社は映画製作乗り出し洲の会社合併することを持ちかけ、『スワンプ英語版)』(1921年)を撮影していた洲はこの話に応じた洲には100万ドルもの死亡保険かけられており、もし洲が死んだ場合保険金洲の会社に入る仕組みとなっていたが、ロバートソン・コール社は合併により保険金自動的に自分たちに譲られる解釈し受取人名義自分たちに変えるよう要求した洲は強くこれに反発したが、それで揉めている最中虫垂炎こじらせた症状がかなり悪化していたにもかかわらず、ロバートソン・コール社は洲の保険金目当て手術先延ばししたため、あとでその事実を知った洲は憤慨した何日経って手術が行われず、4月8日検査をすると一刻を争う危険な状況であることが判明し緊急手術をしたが、腸壁が丈夫で腹膜まで膿が回らなかったため一命とりとめた5月12日洲は退院し6月から転地療養称してアメリカ東部旅行した6月25日にはニューヨーク・ヤンキースワシントン・セネタース野球試合始球式務めベーブ・ルース握手交わしその2日後にはホワイトハウスウォレン・ハーディング大統領面会した洲が長兄宛てた書簡によると、この東部旅行は「新し境地自分活動天地求めよう」という目的があったという。大場俊雄は、東部旅行がやがてハリウッド離れることになる洲の転機前兆であり、映画俳優から舞台俳優へ活躍の場広げることを意図した下見旅行だったと指摘している。 1922年洲は合併後新生ロバートソン・コール社のもとで、中国舞台新作朱色画筆英語版)』(1922年)の撮影入った。すでに保険金受取人名義はロバートソン・コール社に移されていたが、この作品では大地震で町が壊滅する大がかりシーンがあり、同社撮影中に事故起き可能性もあるとして、洲の死亡保険にさらに100万ドル追加した大地震シーンは、3月11日クランクアップ当日撮影されたが、自伝によると、洲は撮影現場見物人異常に多く、その中に白衣着た人も何人かいたため、いつもと様子がおかしいことに気付いたという。撮影するシーンは、洲と中国人パゴダの前で格闘し、その最中発射されるピストルの音とともに地震パゴタ向こう側倒壊するというものだった。ところが、洲は撮影開始直前知人美術監督に「パゴダセット向こう側ではなく洲の方に倒れる」と忠告された。洲は恐怖心抑えながら撮影臨んだが、合図となるピストルの音がした途端パゴダセット本当に洲の方へと倒れ始めた洲はすぐに「走れ!」と声を張り上げ他の俳優たち大急ぎ逃げ出し、そのおかげで怪我人は出なかったという。 洲は自伝で、このセット倒壊事故は、洲の多額保険金手にするためにロバートソン・コール社の社長仕組んだのである主張し、「あのとき日本人排斥盛んなときで、実に迫害受けた。そのどさくさまぎれ日本人の私など撮影中の事故ということで、殺したって平気だろう、殺して200ドルとる、という謀略めぐらしていたのが事実だ」と述べている。中川も、この事件が「会社ぐるみの確信犯的な公開殺人計画」だったと述べている。この事件洲はハリウッド決別することを決意し事件から1週間後3月17日行われたロバートソン・コール社社長主催パーティー席上で、その決意発表した先日一般人投票によって、日本人排斥すべきかどうか土地法、移民法通過さすべきかどうかイエスノー投票があった。あのとき、「イエス投票しろ」と宣伝カー繰り出した、そのなかに僕のいる映画会社からも車が出ていたのを、僕はよく知っているし、現に見た。そして僕の住んでいるこのハリウッドイエス投票したために、あるいはロスアンゼルス全部イエス投票したために、日本人にとってもっとも致命的な土地法案通過してしまった。(中略)道を歩く日本人トマトぶつけられたりで悲しいめに会ったそれのみならず、撮影中に僕を殺そうとした事件起きたこういう空気の中で、僕はこれ以上一日も過ごすことはできない。きょう限りハリウッド訣別する。(中略)いろいろお世話になったが、今日をかぎりお別れする。 この言葉通り洲は自身映画会社解散しハリウッドを後にした。それから約2か月後の6月29日には、妻と渡米初め日本一時帰国した。この頃日本では洲はハリウッド成功したスターとして大きな注目集め映画ファンだけでなく一般大衆からも英雄視された。洲は至るところ熱狂的な歓迎を受け、東京駅では夫妻ひと目見よう大群衆が押し寄せたという。その一方で国賊」「売国奴」のレッテル拭い去られたわけではなく歓迎同じくらいに不歓迎の声も多く夫妻は不歓迎団体抹殺社を称する団体付きまとわれ、常に不安と恐怖がついて回った横浜港到着した時には歓迎の嵐と反対怒号入り混じる騒ぎとなり、帰国直後歓迎会最中には撲殺団のメンバーが「国賊!」と叫びながら乱入する出来事起きた洲は郷里七浦村にも戻り地元人々から大歓迎受けたが、日本離れる間際8月16日に兄の音治郎が亡くなり滞在期間延ばして葬儀参列したあと、8月28日喪服姿のままアメリカ戻った

※この「ハリウッドとの決別」の解説は、「早川雪洲」の解説の一部です。
「ハリウッドとの決別」を含む「早川雪洲」の記事については、「早川雪洲」の概要を参照ください。

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