ハリウッドにおける「赤狩り」とその余波
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「リリアン・ヘルマン」の記事における「ハリウッドにおける「赤狩り」とその余波」の解説
ヘルマンは、戯曲作家として活躍するかたわら、さまざまな政治活動にも参加していた。しかしながら、その方向性についてはさまざまな理解がある。それらは「模索の時代」の足跡であると言うこともできよう。 第二次世界大戦前、独ソ不可侵条約が有効だった間、ハメットとともにアメリカ脚本家協会の一員として、ヘルマンは「全米非参戦委員会(Keep America Out of War Committee)」に加わっており、アメリカ合衆国はヨーロッパでの戦争にかかわりあうべきではないという立場をとっていた。 戦後の冷戦下になって1952年、ヘルマンは下院非米活動委員会に呼び出された。非米活動委員会は、ヘルマンと長期にわたって恋人関係にあったダシール・ハメットがアメリカ共産党員であることを掴んでいた。ヘルマンは、共産党加入者の友人の名前を尋ねられ、これに対してあらかじめ準備してあった声明を読み上げることによって応えた。 たとえ自分を守るためであったとしても、長年の友人を売り渡すのは、わたしにとっては、冷酷で、下品で、不名誉なことであると言わざるを得ない。わたしは、政治には興味がないし、いかなる政治的勢力の中にも自分の居場所を見出したことはないが、それでもわたしは、今の風潮に迎合して、良心を打ち捨てることを潔しとしない。 その結果、ヘルマンは、長期にわたってハリウッドの映画産業界のブラックリストに掲載されることとなった。 『二人の天才~ヘルマンとハメット(In Two Invented Lives: Hellman and Hammett)』の著者であるジャン・メレンは、ヘルマンが回想録の中で、エリア・カザンのような反共リベラリストについて、「ファシストや資本家に対してよりも、共産主義者に対して、攻撃のエネルギーを浪費している」と酷評していることに触れ、「全米非参戦委員会」での活動とつきあわせて考えた場合それはダブルスタンダードといわざるを得ないのではないかと指摘している。 ほかにも、ヘルマンの人生にはいくつかの影がある。たとえば、「スターリンによるソヴィエト共産党内での粛清について何も知らなかった」と述べていたことなどである。ヘルマンは実際には、アメリカ合衆国内のリベラルに向けた公開書簡で、粛清を賞賛する声明文に連署しており、またスターリンによる粛清を解明すべく活動したジョン・デューイ委員会に協力しないよう求めていた。さらにヘルマンは、トロツキーのアメリカ合衆国への亡命にも反対した。トロツキーは以前のソヴィエト共産党の指導者のひとりであったが、当時はスターリンの政敵となっており、最終的には暗殺されることになる。このトロツキーのアメリカ合衆国への亡命阻止の裏には、ソヴィエト共産党の影響があったものと考えられている。 また、メレンによると遅くとも1969年頃には、ヘルマンはドロシー・ストラウス(Dorothea Strauss)に対して、彼女の夫はソルジェニーツィンの作品を出版した罪人だと述べたことがあるという。メレンは、ヘルマンが「アメリカ合衆国の刑務所について、あなたがわたしと同じくらいのことを知っていれば、あなたもスターリン主義者になるに違いない」と述べたと言っている。さらに、方法はとにかくとして、あの専制君主を支えることによって最初の社会主義国を作るのは重要なのだとも、述べていたという。 ヘルマンと作家メアリ・マッカーシーの確執は、のちにノーラ・エフロンによって『Imaginary Friends』というタイトルで2002年に戯曲化されている。マッカーシーは、TV番組『ディック・キャベット・ショウ(The Dick Cavett Show)』に出演した際にヘルマンについて語り、「彼女が書いていることはすべて嘘、嘘、嘘」と罵倒したため、ヘルマンはマッカーシーに対して25,000ドルの損害賠償請求訴訟を起こすに至った。マッカーシーは、ヘルマンの人生の中の影の部分からいくつかの証拠を提出していたが、それらはのちにメレンの手によるヘルマンの伝記で公開された。 訴訟の決着がつかないでいる間に、ヘルマンは、79歳で亡くなった。訴訟は、ヘルマンの遺産継承者によって取り下げられた。 また、ヘルマンは、ピーター・フェイブルマン(Peter Feibleman)の『Cakewalk』という戯曲の主人公となっており、この作品ではヘルマンと若い小説家との交流が扱われている。フェイブルマンは確かにヘルマンとは長い付き合いがあり、『リリアン・ヘルマンの思い出(Lilly: Reminiscences of Lillian Hellman)』という本も発表している。
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