ハリウッドの最高権力者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:30 UTC 版)
「ルイス・B・メイヤー」の記事における「ハリウッドの最高権力者」の解説
メトロ・ゴールドウィン・メイヤーの副社長として、ロサンゼルスの映画スタジオの采配を任されたメイヤーは、次々とヒット作を市場に投入する。メイヤーは、スタジオお抱えの人気俳優たちの魅力を最大限に引き出すために映画の配役や脚本を決定、更に大規模な宣伝を行って彼らの興行的価値を高めることに尽力した。この仕事の中には、スターのイメージを崩さないようにするための、彼らの私生活の管理まで含まれていた。ロン・チェイニーやグレタ・ガルボ、クラーク・ゲーブルにスペンサー・トレイシー、ジュディ・ガーランドなど、この時期にメイヤーが発掘し育て上げたスター俳優は枚挙に暇がない。 更にメイヤーにとって僥倖だったのは、当時メトロ・ゴールドウィン・メイヤーにプロデューサーのアーヴィング・タルバーグが在籍していたことである。タルバーグは映画製作に天才的な手腕を発揮し、スタジオの責任者として広報戦略を練るメイヤーを現場からサポートした。メイヤーとタルバーグの蜜月関係は、やがてタルバーグの才能と人望に嫉妬したメイヤーが彼の追い落としを図るまで続いた。1933年、持病のためにヨーロッパで治療を受けていたタルバーグに帰国後用意されたのは、以前の統括プロデューサーの地位ではなく、現場の部門プロデューサーの地位であった。失意のタルバーグは1936年に亡くなるが、メイヤーは嘗ての教え子であり政敵でもあった「天才少年」の死を、誰よりも嘆き悲しんだと言う。 タルバーグ亡き後のメトロ・ゴールドウィン・メイヤーの舵取りは、文字通りメイヤーの双肩にのしかかることになった。メイヤーは現場の責任者も兼任することになるが、その際にとった戦略とは、これまでより続編物の製作に力を入れるというものだった。大恐慌が到来しアメリカ経済そのものが深刻な打撃を受けても、メイヤー率いるメトロ・ゴールドウィン・メイヤーは好調を維持し続ける。絶頂期のメイヤーはアメリカ合衆国で最も高給取りの男であり、その年収は100万ドルを超えていたとされる。
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