デパートの誕生とは? わかりやすく解説

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デパートの誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:45 UTC 版)

日本の百貨店」の記事における「デパートの誕生」の解説

合名会社三井呉服店現在の三越)が1904年明治37年12月20日前後顧客取引先三井三越連名あいさつ状発送株式会社三越呉服店設立し三井呉服店営業をすべて引き継いだことを案内するとともに今後の方針として「当店販売商品今後一層その種類増加し、およそ衣服装飾に関する品目一棟御用相成り設備致し結局 米国に行はるるデパートメントストア一部実現致すべく候」とし、1905年明治38年元旦には全国主要新聞全面広告掲載した。のちに「デパートメントストア宣言」と呼ばれ日本における百貨店始まりとするのが一般的である。 しかし、実際動きもう少し早く始まっており、百貨店特質のひとつである「陳列式」で見ると1895年明治28年11月三井呉服店土蔵造り2階大広間打ち抜き陳列場」として「座売り」を廃止したのを皮切りに翌年1896年明治29年)には髙島屋京都南店で「陳列式」のひとつでもあるショーウィンドウ設置している。さらに1900年明治33年10月三井呉服店が「座売り」を全廃し全館を「陳列場」へ切り替え開場している。1903年明治36年)には白木屋和洋折衷3階建て洋館建設し「座売り」の廃止と「陳列式」への全面的な切り替えを行うと同時にショーウィンドウ食堂設置している。 三越呉服店による「デパートメントストア宣言」の後には、松坂屋前身の「いとう呉服店」も1905年明治38年)に名古屋店で「座売り」の廃止と「陳列式」への切り替え1907年明治40年4月1日には東京の上野店でも「座売り」の廃止と「陳列式」への全面的な切り替えを行うと同時にショーウィンドウ導入、そして雑貨家庭用品などへの品揃え拡充など百貨店化を進めたほか、同年には高島屋大阪店洋風2階建に改装して陳列式」を一部導入するなど、百貨店化への動き各地行われている。 呉服店改装に留まらない近代的な洋館建設して本格的な百貨店開設する動きとしては、1903年明治36年)の白木屋和洋折衷ショーウィンドウ食堂のある店舗造ったのをはじめ、1907年明治40年)に松屋神田今川橋洋風3階建て店舗建設1908年明治41年4月には三越6年後に完成予定本格的な近代百貨店へと建て替えるため、日本橋本店横に38メートルにも及ぶショーウィンドウなど豪華な装飾施した木造3階建て仮店舗オープンさせる松坂屋1910年明治43年3月鈴木禎次設計名古屋屋上ドームを持つ3階建てルネサンス風の洋館ホール食堂などの最新設備備えた百貨店開業1912年明治45年)に大丸京都店鉄筋木造3階建建物百貨店化し開業1914年大正3年)になると三越呉服店ルネサンス様式新館落成鉄筋地上5階地下1階建てで「スエズ運河以東最大建築」と称され建築史上に残る傑作といわれた。日本初エスカレーターエレベータースプリンクラー全館暖房などの最新設備備えられた。屋上庭園茶室音楽堂などもあり、正面玄関にはロンドンのトラファルガー広場にあるホレーショ・ネルソン提督像を囲むライオン像モデルの「ライオン像」を設置三越ハロッズから学んで豪華な建築にしたのは、ハロッズ責任者が「わびしい店に客が来ると思いますか。店内豪華にし、客を豊かな気分にさせることに使う資金こそ、生きた資本です」と日比翁助述べたからとされる。そして1916年大正5年)の札幌今井百貨店(現・丸井今井)や鹿児島山形屋百貨店開店など明治末から大正にかけて、日本全国各地呉服店などを前身に持つ百貨店開店がみられた。 その後、各百貨店競って豪華近代的な建物使用して人目を引いて集客図り江戸時代からの呉服加えて海外から美術工芸品輸入した舶来品なども扱ったため高級感持たれよそゆき着物着て洒落をしてショッピングを楽しむ「格式高い場所となっていく。 しかし京都法科大学(現・京都大学法学部教授戸田海市や、東京法科大学(現・東京大学法学部教授河津谷克堂らが述べているように、百貨店は「よそよりも一銭でも高いものがあればお知らせ下さい粗品差し上げます。」という新聞広告打った大丸掲げた「どこよりも良い品をどこよりも安く」に代表されるように、比較安く売ることにより大量販売するもので、大規模な店舗幅広い商品扱いいわゆるワンストップショッピングを可能としていたこともあり、比較低価格美術工芸品販売が行われたことや購入品を無料配送したこと、定価正札)で現金販売であることなどと合わせ中流階級以下の庶民広く受け入れられ急速に売上伸ばすことに成功した1930年昭和5年)から1931年昭和6年)にかけての1年間東京市内における売上で見ると、6小売業者のうち18しかない百貨店織物被服類の売上総額69%、小間物用品類では59%を百貨店占めるほど急速に売上伸びたため、大正時代後期になると中小小売業から営業規制求める声が上がり1938年昭和13年12月最初百貨店法制定されることとなったが、太平洋戦争開戦により百貨店が立ち行かなくなり有名無実化し、GHQ意向もあって1947年昭和22年)に廃止された。

※この「デパートの誕生」の解説は、「日本の百貨店」の解説の一部です。
「デパートの誕生」を含む「日本の百貨店」の記事については、「日本の百貨店」の概要を参照ください。

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