デパートビル取り壊し禁止の仮処分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:16 UTC 版)
「千日デパートビル火災民事訴訟」の記事における「デパートビル取り壊し禁止の仮処分」の解説
原告である松和会は、「建研報告書」に記載されている数値に関して、計算間違いや仮定の積み重ねによる結論であることを再鑑定などで明らかにし、被告が主張する「経済的滅失」の虚偽を明らかにしたところで立証を終える予定にしていた。ところが突然被告側から「デパートビルの取り壊し計画」が発覚することになった。1977年1月18日、原告は大阪地方裁判所にビル取り壊し禁止を求める仮処分を申請した。翌19日、ビルの取り壊し禁止の仮処分が決定した。供託金は2,500万円だった。賃借権訴訟の提起中であり、建物の権利保全の観点からの申請であった。原告は、仮処分を機に和解交渉への道を模索していたが、被告側が原告の仮処分に対して異議申請をおこない、執行官保管部分の執行取り消しと、取り壊し禁止の執行停止を申し立て、大阪地裁に認められた。供託金は2億5000万円だった。被告側は、疎明資料として「建研報告書」の抜粋を提出した。さらにはデパートビルの早期再建を望む政治家やミナミ商店街連合会代表らの陳述書を取りまとめて大阪地裁に提出していた。原告は、この動きを阻止しようと即時抗告を申し立てたが裁判所の結論は直ぐには出なかった。 その最中にビルの解体を急ぎたい被告が、デパートビル内に残されているテナントの備品や什器類を無断でビル外へ移動させた。この動きに対して原告は、現状維持仮処分の執行停止の更正を裁判所に求め、再びビルの取り壊しは出来なくなった。仮処分の応酬が激しくなる中で、ついに1977年3月19日「原告と被告の間でビルの取り壊しを中止し、円満解決を目指す」旨の覚書が締結された。双方が申し立てていた仮処分や即時抗告は取り下げられ、これ以降は双方の弁護士間で和解交渉へ移っていった。しかし、交渉は遅々として進まなかった。
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