ディープ・スロートとは? わかりやすく解説

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ディープ‐スロート【deep throat】

読み方:でぃーぷすろーと

内部告発者


ディープ・スロート

作者牧野修

収載図書黒娘―アウトサイダー・フィメール
出版社講談社
刊行年月2003.9
シリーズ名講談社ノベルス


ディープスロート

作者小沢章友

収載図書歌舞伎町 炎の夜
出版社河出書房新社
刊行年月2007.7


ディープ・スロート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 04:03 UTC 版)

ディープ・スロート (Deep Throat)




「ディープ・スロート」の続きの解説一覧

ディープ・スロート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 10:09 UTC 版)

ウォーターゲート事件」の記事における「ディープ・スロート」の解説

事件発生から33年後の2005年5月31日当時FBI副長官であったマーク・フェルトが「ディープ・スロート」であったことを公表し、『ワシントン・ポスト』及びウッドワードもこれを認めたウッドワードフェルトとが初め会ったのは、1969年秋ごろにホワイトハウス西館1階にある国家安全保障会議幹部執務室の外にある狭い応接ルームであったイェール大学卒業後軍に就き当時海軍大尉であったウッドワード国防総省勤務し各通信文や書類ホワイトハウス届け役目務めていた。担当者手渡すまで待っている間(1時間ほど待たされることが多かった)に、たまたま隣に座って言葉を交わしたのが当時FBI副長官フェルトであったホワイトハウス会ったのはこの後にもう1度だけで、やがて翌1970年夏に海軍除隊後に『ワシントン・ポスト』に2週間試用勤務した結局本採用されず、地方都市週刊誌記者として1年間勤めている間にフェルト親しい関係になり、自宅訪ねたこともあった。 ウッドワード1971年9月に『ワシントン・ポスト』に本採用され、新聞記者となったが、仕事忙殺される間でも定期的に連絡取っていた。その頃には政府機関であるFBI副長官新聞記者との関係を誰にも知られないようにして、自分とFBI司法省一切言及しない鉄則を守ることを誓い、どんなことがあっても秘密厳守することをウッドワードフェルトから教えられた。 どちらか緊急に会う必要が生じた時は2人だけが分かる意思表示方法決められていて、ウッドワード会いたい意思表示する時は自宅アパートベランダ置いてある植木鉢を奥に引っ込めることで、これをどうやってフェルト確認したのかウッドワードはついに分からないままであったフェルト意思表示をする時はウッドワード宅に配達されるニューヨーク・タイムズ』の20ページ目のページ番号20に〇を書き入れ、その下に矢印をつけてその矢印方向何時にと分かるようにしていて、大体午前2時が多かった。場所はポトマック川ヴァージニア州ロスリンにある地下駐車場であったウォーターゲート事件が起こる前でも、2人取材の中でワシントン政府権力といったテーマ何度も夜遅く語り合う関係であった。彼は「ニクソン支配するホワイトハウス」に悩まされていた。ニクソン取り巻きによる政権維持のためには汚いやり方意に介さないことに憤慨していた。侵入事件直後1972年6月23日以降のハルデマン補佐官ディーン顧問動き見せた態度は、政府機関の側から横柄で礼を失したものであった議会から承認を受ける必要のない補佐官政府機関のトップ呼びつけ注文を付ける様子フェルト神経を逆撫でするものであった。そしてウッドワードホワイトハウス上層部との関係に注目した決定的な証拠はまだ見出せず、1972年10月ある日深夜にこの事件起きて以降では初めフェルト会った。彼は「大統領ミッチェルだけが知っている」との謎めいた言葉ウッドワードにかけていた。「ミッチェル関与している。疑い余地はない」「いろいろな妨害工作違法活動ホワイトハウスニクソン再選委員会メンバー50人くらい関わっている」と言いながら最後に「今言ったことは一言たりとも記事にしてはならない。これはバックグラウンドだ」と言っている。しかしこの直後に、ホワイトハウス大統領執務室でハルデマン補佐官ニクソン大統領に『ワシントン・ポスト』への情報提供者フェルトだと報告していた。 ウッドワードフェルトの関係は、ウッドワードが『大統領の陰謀』を書いたりして、大統領辞任後ディープ・スロートの正体についての取材多くなり、フェルト質問受けて自分ではないと否定することで、次第疎遠になっていった。またフェルト自身1973年5月グレイ長官代行辞任後後継選ばれることなく翌月辞任したが、1972年極左テロ組織ウエザーマン」の捜査過程で、FBI容疑者宅への不法侵入承認したことが4年後に問題となって裁判被告席に立つこととなり、この裁判1980年10月証人として当時67歳ニクソン出廷してフェルト擁護している。長い裁判結果1980年11月大陪審有罪判決受けて服役せず罰金刑という軽い処分終わった。しかも翌年就任したレーガン大統領が「テロリズム終息させるという崇高な行動指針従った行動」と讃え、特赦受けた。それに対してウッドワードジャーナリストという身分からまったく逆の立場に立つことになった2000年2月86になったフェルトウッドワード訪ねている。この時にすでに認知症患っていたフェルトは細かい記憶失われており、幾つかの昔話に「憶えていない」の返事多かったウッドワードバーンスタインは彼が死んだ後にすべてを明らかにしようと考えていたが、2005年5月31日発行され雑誌ヴァニティ・フェア」において、「私がディープ・スロートと呼ばれた男」の記事出された。この記事弁護士ジョン・オコーナーフェルトの娘のジョーン本人説得してオコーナー書きこの中でフェルトがディープ・スロートであったことと自身認知症によりその事記憶を既に失くしていることにも触れていた。同じ日に『ワシントン・ポスト社内ウッドワードバーンスタインと他の編集局幹部協議の上で、声明出してフェルトはディープ・スロートであり、ウォーターゲート事件取材の際に計り知れないほどに力になってくれた」と彼がその人であったことを認めた。 なおフェルト動きを「FBIマスメディア利用してニクソン大統領辞任追い込んだクーデターである」などと主張する者がいるが、そもそも事件起こしたのはニクソンホワイトハウスであり、「そもそも大統領事件知ってからすぐにもみ消し工作指示したことが彼の崩壊出発点であった」「事件進展過程ニクソン真相全て公表してしまえば自己の政治生命を救うことができた時期もあった」とされている。しかしもみ消し工作をさらにもみ消すことを繰り返して、さらに司法活動妨害まで行ってそのたび国民大統領対す疑惑不信感深めて「つまり最終的に破滅追いやったのは、真相隠そうとして次々と取った彼の対応策であり、彼は自ら墓穴を掘るような行動を重ねていった」ことであった。 さらにマーク・フェルトフーヴァー死去後後任グレイ任命されたことにショック受けていた。自分後継者になると自負していたとボブ・ウッドワードはその著「ディープスロート〜大統領葬った男〜」で書いているが、またフェルト行動についてゲーム感覚ウッドワード手先諜報員見なしていたのではないか、と疑い彼のような地位人間ニクソン及び大統領制そのもの影響を及ぼすような事柄不謹慎なことをするとは思えなかった」として結論として「ディープスロートは政権を護ろうとした。全て崩壊する前に政権みずからが行いを改めることを意図していた」と書いている。1972年10月フェルトウッドワード事件後に初めて《密会》した直後にすぐにニクソンのもとに情報入っていたこと、辞任後1980年フェルト在職中(1970年)に起こった別の事件FBI不法侵入事件)で被告となった時にニクソン弁護側の証人として出廷してフェルト弁護し、後に赦免されフェルトは「ニクソンワシントン・ポストよりもずっと力になってくれた」と語っていたことを見ればウォーターゲート事件は「クーデターではなく国家権力者による数えきれない程の違法行為導いた政権自滅以外の何物でもない事は火を見るよりも明らかである。

※この「ディープ・スロート」の解説は、「ウォーターゲート事件」の解説の一部です。
「ディープ・スロート」を含む「ウォーターゲート事件」の記事については、「ウォーターゲート事件」の概要を参照ください。

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