セメント関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 22:55 UTC 版)
セメントは歴史の古さでも、規模でも、投資額でも、浅野財閥の中心である。北は北海道から、南は台湾まで、日本全国に浅野財閥のセメント工場が散在し、日本のセメント生産高の半分以上を占めると言われた。 浅野セメント 明治17年に官営深川セメント製造所の払い下げで設立。明治31年に、浅野総一郎33万5千円、渋沢栄一20万円、安田善次郎10万円、大川平三郎11万円、尾高幸五郎5万5000円出資し、合資会社になる。大正2年に株式会社になる。海軍は浅野セメントしか使用しなかったので、三井物産が小野田セメントを売り込もうとしたが、セメント性能試験の成績表を示されて品質の差に諦めるしかなかった。門司工場には保育所が併設されて、職工が働く間、その幼児100人ぐらいを預かって世話をした。扇の紙に浅野総一郎の家紋(Zの鏡文字に類似)が社章(戦後の日本セメントやアサノコンクリートの社章と同一)。(日本セメントを経て現:太平洋セメント) 門司セメント 明治21年、浅野総一郎が持株比率38%の筆頭株主となって、渋沢栄一(渋沢財閥)、大倉喜八郎(大倉財閥)と共同で設立し、工場建設を開始。明治23年、財界反動で金融難となり、工場建設を中止し会社は解散。浅野総一郎はその代わりに、明治26年に浅野セメント門司工場を建設した。 浅野石材工業 明治38年設立。砂利、割栗石、花崗岩を、多摩川、須賀、四方津、若林、馬入川、相模川、利根川などで採取。茨城県真壁町で花崗岩(真壁石)を採掘していた関係で、筑波鉄道を設立し筆頭株主になる。おそらく日本共同石材が改称したもの。 日本石膏 大正3年に浅野財閥が、岩手県黒沢尻の原石から焼石膏を製造販売する会社に、出資。原石を浅野セメントに供給する。浅野総一郎が社長。 浅野スレート 大正4年設立。オーストリア企業から特許と製造機械を購入して、日本で最初にスレートを製造した会社。大正12年に浅野セメントと合併、昭和26年に浅野スレート株式会社独立。平成12年に株式会社アスクと浅野スレート株式会社が合併し、株式会社エーアンドエーマテリアルが発足。 石綿スレート 大正10年設立、市価を安定させるための、浅野スレートと日本石綿盤製造の共同販売機関。 秩父セメント 大正12年に根津財閥、大倉財閥、大橋財閥、若尾財閥、浅野財閥、大川財閥、諸井恒平、大友幸助、小倉常吉など大勢で創立。浅野泰治郎が取締役。大正13年8月、セメント出荷開始。この頃はセメント供給過剰で他社は生産出荷調整協定を結んでいたが、秩父セメントだけは生産出荷をどんどん拡大していった。大正15年4月に生産調整組織に参加するが、参加後1年間は何も制限を受けないという特例を得て、シェアを広げる。武甲山石灰石採掘場に隣接する最新設備の工場は、セメント原料の石灰石の輸送コストが無く、生産コストも低いので、安価な製品を販売することができた。秩父小野田から太平洋セメントを経て現:秩父太平洋セメント。 旭コンクリート工業 大正12年、浅野セメントが出資し設立。愛知・三重・岐阜で営業。 浅野スレート販売 大正13年設立。すぐに浅野スレートに改称。スレートの販売会社。昭和26年浅野スレート株式会社(製造販売)となり、現:エーアンドエーマテリアル。 大阪石綿工業 大正14年、金剛商会を買収し設立。アスベストセメントの管やスレートを製造。漫画家の手塚治虫が勤労動員で働いていた会社。昭和20年浅野セメントスレート部に合併される。 浅野ブロック製造 大正14年設立、昭和3年株式会社に。道路舗装の金剛アスファルトブロックの製造販売。 日本ヒューム管 大正14年設立。英国ヒュームパイプアンドコンクリート社の特許によるコンクリート製品ヒューム管の製造販売。日本ヒュームコンクリートを昭和3年に日本ヒュームに改名。(現:日本ヒューム) 地下工業 大正14年設立。地下ケーブル工事。浅野財閥が900/10000株を所有。鉄道省の工事が主。 日本スレート販売 大正15年設立。浅野セメントスレート部、大阪石綿工業、日本石綿盤製造、朝日スレートの合同販売会社で、大正十年設立の石綿スレート株式会社の後身。 日本セメント 昭和2年に浅野セメントの傘下に入る。昭和14年に浅野セメントに合併される。 鉄筋コンクリート 昭和4年、浅野同族会社の建設部が独立した会社。学校校舎や橋の鉄筋コンクリート工事。 土佐セメント 昭和7年に浅野セメントが過半数の株を取得。昭和17年浅野セメントに合併。 日東セメント 広島の会社。浅野セメントが、昭和9年に1万株を、昭和11年に6700株を取得し、完全に支配する。昭和17年浅野セメントに合併。 東亜セメント 尼崎市の会社。昭和10年に浅野財閥が殆どの株を取得。昭和17年浅野セメントに合併。 中国石膏 昭和11年設立。石膏採掘販売。 東京セメント 昭和3年設立。武蔵野鉄道の子会社。 豊国セメント 4/150の株を浅野財閥が所有。昭和48年三菱鉱業・三菱セメント・豊国セメントが合併し三菱鉱業セメント。平成2年三菱金属と三菱鉱業セメントが合併し、現:三菱マテリアル。 大分セメント 9/221の株を浅野財閥が所有。昭和13年小野田セメントと合併、現:太平洋セメント。 磐城セメント (現:住友大阪セメント) 大同洋灰 昭和8年に満州で設立。浅野セメント・秩父セメント・磐城セメント・大阪窯業が共同。浅野セメントが83%の株を持つ。 満州洋灰(満州セメント) 昭和9-10年設立。浅野セメント・磐城セメント・七尾セメントが共同。浅野セメントが半数の株を持つ。 本渓湖洋灰 昭和10年に大倉財閥が満州で設立し、渋沢財閥・古河財閥・浅野財閥も参加。総数6万株だが、浅野財閥は1万2千株を取得。 浅野軽クリート工業 昭和11年設立、軽クリート・パーマックス・セメント瓦・耐火波板。 朝鮮浅野セメント 昭和11年設立。 台湾セメント 昭和12年設立、社長は浅野総一郎、セメント製造販売。 満州浅野スレート 昭和13年設立。大阪石綿工業と共同。 日本高炉セメント 昭和16年設立、浅野セメントと日本鋼管の共同出資、浅野セメント川崎工場を引き継ぐ。昭和24年に第一セメントに社名変更、平成15年に中央商事と合併し、現:デイ・シイ。社章は、扇の紙に D.C。 日本最高強コンクリート 昭和16年設立、高圧コンクリート管製造販売。 日本コンクリート 浅野セメントの子会社。
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