浅野スレート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 07:57 UTC 版)
同年の12月に東京深川区で石綿スレート工場を試運転すると、1915年(大正4年)3月に浅野総一郎・渋沢栄一・大川平三郎・徳川公爵その他が出資して浅野スレート株式会社(エーアンドエーマテリアル)を設立し、近藤が専務取締役に就任した。戦争景気で需要が急増したので、資本金を六倍に増資して、深川区の工場を拡張し、門司・名古屋・大阪・京城にも工場を建設したが、それでも需要を満たす事が出来ず、八時間労働の一日三交代制で24時間連続して工場を稼動させた。1933年(昭和8年)には浅野スレートが日本の生産高の七割を占めた。
※この「浅野スレート」の解説は、「近藤会次郎」の解説の一部です。
「浅野スレート」を含む「近藤会次郎」の記事については、「近藤会次郎」の概要を参照ください。
- 浅野スレートのページへのリンク