浅野セメント株式会社に改組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 16:17 UTC 版)
「浅野セメント」の記事における「浅野セメント株式会社に改組」の解説
資本金10万円で新設された浅野セメント株式会社が、旧来の合資会社を合併するという方法で、浅野セメントは1913年(大正2年)2月に、合資会社から株式会社に変わった。その際に合資会社の資本金を490万円に評価したので、合計で払込資本金五百万円の会社になった。この評価は、払込額100円に対して178円の株式を交付したことになり、178%の配当と同じであるが、この年の合資会社の配当率は平均21%なので、この年度だけで199%の高配当を実施したことになる。資本金十万円の浅野セメント株式会社の株主は、浅野家41.9%、大川家13.7%、尾高家6.85%、渋沢家12.5%、安田家12.5%、徳川家12.5%で、合併後の資本金五百万円の株式会社でも、この比率だったと考えられている。その後九年間の平均配当率は18%強だった。増資・払込を繰り返し1920年(大正9年)下期には払込資本金が千五百万円になった。その間に1915年(大正4年)北海道セメントを吸収合併して北海道工場にすると、1917年(大正6年)5月までの間に設備改良工事をして増産した。函館出張所を設置して販売を強化し、さらに1917年(大正6年)9月から1922年(大正11年)3月までかけて第二工場を建設すると、生産高が百万樽の大台を超え、1926年(大正15年)には合併時の13倍以上の生産量に達した。日清戦争によって日本の領土になった台湾では、築港工事・鉄道工事・水道工事・護岸工事が盛んになり大規模なセメント需要があったので、1913年(大正2年)7月に台湾の高雄に工場建設を計画し、1917年(大正6年)7月に竣工させた。。さらに川崎にも工場を建設した。株価の高騰や高配当によって浅野総一郎の資産はかなり増えたと考えられており、浅野財閥の成立に浅野セメントが果たした役割は大きかった。
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