グループC1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 22:22 UTC 版)
「1984年のル・マン24時間レース」の記事における「グループC1」の解説
唯一のワークス参加となったランチアは汚名返上を狙い、ダウンフォースを大きくするためボディ下部を改良するとともにフェラーリ製V型8気筒エンジンも出力と燃費の両面から改良されたランチア・LC2/84を3台持ち込み、ポルシェ・956を使用するプライベーターチームとの対決が注目された。 ポルシェ・956の出場は16台を数えた。この時点でカスタマースペックもボッシュ製モトロニックMP1.2を装備する935/82型エンジンを装備するポルシェ・956Bになっていたが、現場での細かいセッティングができないモトロニックMP1.2に不満を感じたチームもあり、例えばヨースト・レーシングは独自のルートでMP1.2をセッティングしかなりの燃費改善に成功、またシリンダー構造がモジュラーになっていることに注目し特注ピストンを使用して3.0リットルエンジンを製作するなど本体側の改良も進め、新規購入したシャシ番号956-117に積み、7号車として出場させた。 アストンマーティンはヴァイカウント・ダウンからニムロッド・C2Bの31号車、32号車が出走した。31号車は585馬力、32号車は560馬力であったという。 フランス人はWMセカテバプジョーに期待した。シャシ、ボディとも1983年モデルを改良し、エンジンにはプジョー本社から技術援助を受けて出力向上を図っていた。 童夢は体制を一新、ターボ車が多くなる中でノンターボのフォード・コスワース・DFL型エンジンを搭載し、これまでの直線重視からコーナリング重視にシャシの設計を変更した童夢・RC-83を持ち込んだ。
※この「グループC1」の解説は、「1984年のル・マン24時間レース」の解説の一部です。
「グループC1」を含む「1984年のル・マン24時間レース」の記事については、「1984年のル・マン24時間レース」の概要を参照ください。
グループC1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 22:35 UTC 版)
「1989年のル・マン24時間レース」の記事における「グループC1」の解説
前年タイヤバーストで参加していないハンディはあるものの、熟成の進んでいなかった前年ですら高い戦闘力を見せたことから優勝候補として挙げられていたのはメルセデス・ベンツのザウバー・C9である。BMWで数々の実績を挙げていたヨッヘン・ニーアパッシュを監督に起用し、一歩進めた強力な体制での参戦となった。車両はスポンサーカラーでなくナショナルカラーである銀色で、フランス人やイギリス人の中にはアドルフ・ヒトラーがメルセデス・ベンツやアウトウニオンを支援して銀色のマシンでサーキットを荒らし回った時代を想起した人もいた。ただドライバーはフランス人、イギリス人、イタリア人などドイツ人に限られない国際色豊かな顔ぶれであった。エンジンはDOHCのM119型となった。去年のタイヤバーストの原因はダウンフォースが大きくタイヤが耐えられなかったことによることが分かったので、ダウンフォースを小さくし空気抵抗が減少したボディーとなり、この副産物として最高速が伸びた。ただあまり操安性は良くなくドライバーの負担は大きかったという。 念願の優勝を前年果たしたジャガーはトム・ウォーキンショーが直接管理する4両のXJR-9を持ち込み、連覇を狙っていた。ただ新しく切り替える方向であったV型6気筒ターボエンジンはル・マンに持ち込めるだけの信頼性がなく、引き続き大きく重い7リットルエンジンで戦うこととなった。スポーツカーレースシリーズではハンドリングに悩まされていたがル・マンに来るまでに解決した。 ポルシェはワークス参戦を取りやめ、ヨースト・レーシング等有力プライベーターを支援するに留まったが、台数としては依然最大勢力であった。 ニッサンはシャシをアルミニウムハニカムモノコックだったマーチ製から軽量で剛性のある炭素繊維コンポジットのローラ製に切り替えて大幅な戦力アップを果たし有力チームに仲間入り、ポテンシャルでトヨタやマツダをしのぎ、日本車によるル・マン総合優勝に関してニッサンが最有力候補となったように思われた。しかしシャシ/エンジンを新しくしたため充分な熟成ができずにル・マンを迎えることになった。出場は日本から2台、NMEから2台の計4台である。VRH35エンジン開発に関してエンジン設計責任者だった林義正は当初内径φ85mm×行程77mmの3,495ccを主張したが上司の同意が得られず、後に人事異動で認められたもののすでにル・マンへの投入には時間切れで、実際には内径φ85mm×行程75mmの3,405ccだったという。 トヨタはニッサンがレース専用のV型8気筒エンジンを開発したことに触発され、ようやく開発したV型8気筒ツインターボ、エンジンを開発、参加するだけだった状態からの脱皮を図りつつあった。エンジンは内径φ82mm×行程75mmで3,169cc、圧縮比8.0で800PS/8,000rpmと発表された。エンジンを積むシャシも開発が必要になったが、それまでにトムスで蓄積された技術は生かされず、TRDで設計されることになった。新型のトヨタ・89C-Vを2台の他、大事を取って旧型のトヨタ・88Cも1台出走させた。新型車両はエンジンがピーキーで、操縦性も旧型車両と違っていた。トヨタ・88Cは製作したトムスが主導してセッティングを進めた。トヨタ、TRD、トムスと船頭が多くレースの方向性を巡りエネルギーを集中する面ではあまり効率が良くない体制であった。 アストンマーティンはリアウィングの下にラジエーターを設置する奇妙な車両を持ち込んでいた。 ランチアは4年落ちの中古車で、予選通過さえ危うかった。
※この「グループC1」の解説は、「1989年のル・マン24時間レース」の解説の一部です。
「グループC1」を含む「1989年のル・マン24時間レース」の記事については、「1989年のル・マン24時間レース」の概要を参照ください。
グループC1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 23:16 UTC 版)
「UEFAネーションズリーグ2018-19」の記事における「グループC1」の解説
順チーム 表・話・編・歴 試勝分敗得失差点昇格1 スコットランド (P) 4 3 0 1 10 4 +6 9 リーグBに昇格 — 3–2 2–0 2 イスラエル (P) 4 2 0 2 6 5 +1 6 2–1 — 2–0 3 アルバニア 4 1 0 3 1 8 −7 3 0–4 1–0 — 出典: UEFA順位の決定基準: 順位決定基準(P) 昇格.注釈: ^ レギュレーション変更によりリーグDへの降格チームは発生せず、グループ2位もリーグBに昇格する。
※この「グループC1」の解説は、「UEFAネーションズリーグ2018-19」の解説の一部です。
「グループC1」を含む「UEFAネーションズリーグ2018-19」の記事については、「UEFAネーションズリーグ2018-19」の概要を参照ください。
- グループC 1のページへのリンク