ワークス参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:48 UTC 版)
「ラリー・モンテカルロ」の記事における「ワークス参戦」の解説
日本のワークスメーカーで最初にモンテカルロに挑んだのは日産自動車であった。ダットサンチームの名の下、1965年より1967年まで日産・ブルーバード、1968年、1969年は日産・フェアレディ、そして1971年から1973年に240Zを投入。 1968年は若手のハンヌ・ミッコラがフェアレディ2000で9位入賞、1971年は優勝経験のあるラウノ・アルトーネンを招き240Zで5位、後のオペル(GM・ユーロハンドラー)チーム監督として手腕を発揮する事になるトニー・フォールも10位と健闘する。続く1972年、アルトーネンは3位と好成績を挙げ、日本でのラリー・モンテカルロの認知度は後のサザンクロス・ラリー、サファリラリー同様、一気に高まる事となる。 1979年、1980年にはWRC常連勢(トヨタ・セリカ等)の他にもホンダ・シビック RS等のスモールハッチ車もスポットとして見受けられた。 1991年、トヨタ・セリカ GT-FOURが日本車として初優勝を飾って以来、三菱自動車やスバルの全盛期を含め、2000年代前半まで常時日本車が優勝争いをすることになる。 2017年 モンテカルロからTOYOTA GAZOO Racing(代表:トミ・マキネン)がヤリスWRC(ヴィッツ)を2台体制で参加。ドライバーはヤリ-マティ・ラトバラとユホ・ハンニネン。テストドライバーはエサペッカ・ラッピ。
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