ワークス・チームへ移籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/24 04:23 UTC 版)
「マルコ・マルティン」の記事における「ワークス・チームへ移籍」の解説
2000年からは、イギリス人コ・ドライバー、マイケル・パーク(英語版)と組み、カローラWRCで引き続きWRC参戦を継続。その年の8月に、スバルとワークス契約を交わした。当初、同時期に契約を結んだペター・ソルベルグとのジョイントナンバー2扱いとみられたが、2001年シーズンが始まると、開幕戦のモンテカルロ以降一度もワークスノミネートされることはなく、フル参戦の契約にもかかわらずシーズン途中には欠場することもあった。結果的にソルベルグを優遇した扱いに不満を爆発させ、シーズン中にフル参戦を条件にフォードと契約を交わした。 2002年から、フォードのワークスチームに移籍。念願のフル参戦が叶い、その年のベストリザルトは、ソルベルグとの接戦の末に掴んだ最終戦のグレートブリテンでの2位だった。 フォードのWRC活動予算の削減で、コリン・マクレー、カルロス・サインツらが去ると、2003年からフォードのエースを務める。前年のフル参戦でめきめきと頭角を表していたが、ライバルよりもパフォーマンスの劣るマシンが祟り序盤は低迷した。だが、スバルから移籍してきたクリスチャン・ロリオーが手がけたフォード・フォーカスWRC03を得ると、持てる速さを遺憾なく発揮。アクロポリスで待望の初優勝を飾ると、フィンランドではマーカス・グロンホルムとの死闘の末に勝利を掴み取った。この年の活躍により、ソルベルグやセバスチャン・ローブと並んでWRC若手御三家と称され、将来のチャンピオン候補と言われた。 2004年は、メキシコでの勝利以降コンスタントな結果を挙げていたが、シーズン中盤に入ると経営不振に陥ったフォード本社の影響で、来シーズン以降の参戦危惧が囁かれ始める。だが、マルティンはWRCの中でも特に厳しいラリーといわれるカタルニア、ツール・ド・コルスで見事勝利を挙げ、それによりフォード本社は2005年以降のWRC参戦を決断。フォードのワークスラリー活動継続に大きく貢献した。
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