ワークス最終シーズン
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チーム代表職はクラッシュゲート後に臨時的にボブ・ベルが務めていたが、2010年1月5日にかねてより噂のあったグラビティスポーツマネジメント社のエリック・ブーリエが後任となることが発表された。ドライバーは、前年限りで離脱しフェラーリに移籍したアロンソ、チームから解雇されたロマン・グロージャンに代わって、BMWザウバーの撤退でシートを失っていたロバート・クビサ、セカンドドライバーとして、初のロシア人F1ドライバーとなるヴィタリー・ペトロフがレースシートを得た。サードドライバーとしては、ホーピン・タン、リザーブ兼テストドライバーとしてジェローム・ダンブロジオ、ヤン・チャロウズがそれぞれ決定した。 新体制初年度はクビサが3位表彰台を2度獲得。マルチディフューザーやFダクトの熟成により、後半戦は他チームにとって脅威となる存在感を示した。 2010年12月8日には、ルノーが保有する残るルノーF1の株式を「グループ・ロータス」(プロトン傘下のロータス・カーズを中心としたグループ)に売却し、エントリー名を「ロータス・ルノーGP」と改めることが発表された。この結果、2011年のみコンストラクター登録としては「ルノー」のままとなるものの、ルノーはチーム運営や車体開発からは2010年限りで手を引き、2011年以降はエンジン供給のみを行うこととなった。この背景には、2010年にルノーエンジンを積むレッドブルのセバスチャン・ベッテルがドライバーズタイトルを、レッドブル・レーシングがコンストラクターズタイトルを獲得し2冠を達成したにもかかわらず、ワークス・チームが存在するためにこれらの成果をプロモーションに利用することが難しく、ワークスの存在がむしろマイナスの方向に働いていることも指摘された。
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