フェアレディ2000
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「ダットサン・フェアレディ」の記事における「フェアレディ2000」の解説
SR311 / SRL311型 1967年3月 - 「フェアレディ1600」に追加されるかたちで「フェアレディ2000」(SR311型)発売。ソレックスキャブレター2基を備えた新設計の直列4気筒SOHC1,982cc、U20型エンジン(145馬力/6,000rpm)と、ポルシェタイプシンクロを持った5速トランスミッションを搭載。発表された最高速度は205km/hであり、国産初の200km/hオーバーカーとなり、高性能車としても注目を浴びる。後に「フェアレディ」の完成形と賞賛されるモデルとなる。テレビコマーシャルは杉山登志らが制作し、数々の賞を受賞した。 1967年5月 - 「第4回日本グランプリ」GTクラスにてフェアレディ2000が1-2-3フィニッシュを飾る。 1967年11月 - 上記の「フェアレディ1600」同様、ウインドシールドスクリーンを高くし、日本車初のコラプシブルステアリングシャフトの採用、ダッシュパッドやヘッドレストの追加、シートベルトの3点化、ドアアウターハンドル、スイッチ、リアビューミラーなど突起物の形状の変更で北米の安全基準(Motor Vehicle Safty Standard)に準拠。1967年3月から同年10月までのモデルは「ローウインドスクリーン」、同年11月以降のものは「ハイウインドスクリーン」と呼ばれ、区別されている。 1968年1月 - 第37回モンテカルロ・ラリーに、カーナンバー66(ハンヌ・ミッコラ / Anssi Jarvi組)と、同じく70(Jorma Lusenius / Vihervaara組)の2台の「ローウインドスクリーン」タイプのワークスSRL311で初出場。カーバッジはDATSUN 2000。FR車は圧倒的に不利と言われるモンテカルロで、カーナンバー66のミッコラ/ヤルヴィ組が総合9位、グループ3クラス3位を獲得する。 1968年5月 - 「'68日本グランプリ」GTクラスにて「フェアレディ2000」が1-2-3フィニッシュを飾る。 1968年7月 - SP/SRともにソフトトップを持たないハードトップモデルを追加。 1968年8月 - 「第3回富士ツーリスト・トロフィー・レース」GTS-IIクラスにて「フェアレディ2000」が優勝を飾る。 1968年11月 - ステアリングギアボックス、マフラー、ワイパー、ライセンスプレートランプ、テールランプなどを変更。 1969年1月 - 第38回モンテカルロ・ラリーに出場。カーナンバー79(Raimo Kossila / Pertti Mannonen組)と、同44(Risto Virtapuro / Charles Lindholm組)の2台の「ハイウインドスクリーン」タイプのSRL311でエントリー。 1969年10月 - 「第6回日本グランプリ」GTクラスにて「フェアレディ2000」が優勝を飾る。 1969年 - 後継車種「フェアレディZ」が発表されるが、1970年4月まで継続生産(日産内部資料による)。 1970年 - 生産終了。初代の生産台数は525台、2代目の国内販売台数は約6000台
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