日本のオープンカー市場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:14 UTC 版)
「オープンカー」の記事における「日本のオープンカー市場」の解説
日本車で1933年に登場した日産のダットサン12型フェートンに始まり、1935年にダットサン14型ロードスターで、ロードスターの名が使われた。2名分のシートをトランクルーム格納式とした2+2のクーペをベースとした、よりスポーティーなロードスターがラインナップに追加された。 その後この流れは、戦後初のスポーツカーとなった1952年のダットサン・スポーツDC-3や、オースチンとの提携による「ダットサン・1000」をベースとしたFRPボディーを採用した1959年の「フェアレディ」へと受け継がれて行く。これらは車名にロードスターの名は付けられなかったが、北米では後継となる SR311型(フェアレディ2000) まで、ダッツン(ダットサン)・ロードスターとして親しまれた。 1962年には四輪車製造に参入したばかりの本田技研工業がS360を発表し、後のSシリーズの布石となる。しかし1960年代末から主な輸出先となる北米の保安基準の強化による一般的な屋根つき車体(クローズドボディー)への移行や、排ガス規制に対応を迫られた時期の開発費の削減などの理由のほか、オイルショックなどの社会的な背景から、その後、このジャンルは前述のユーノス・ロードスターの登場まで、長期にわたる空白を迎える。 1989年にマツダが発売した「ユーノス・ロードスター」(現在の「マツダ・ロードスター」)は、新時代のオープンカーの先駆けであり、世界の自動車メーカーに多大な影響を与えた。ロードスターは、マツダの大衆車であるファミリア用の1,600ccエンジンを改良したものを車体前部に搭載し、後輪駆動、専用の車体を与えられた。 当時この分野は隙間市場となっており、化石的ともいえる旧世代の生き残りモデルも絶えて久しく、一部の海外高級車を除くほとんどの自動車メーカーも進んで手を出すことがなかった。しかし、マツダ・ロードスターは2016年4月25日までに累計100万台を出荷し、2人乗りの小型オープンスポーツカー生産台数世界一としてギネスに認定されるなど、この分野での最高の成功作となった。また2002年にはダイハツ・コペン、2015年にはホンダ・S660が発売されるなど、新車の開発もわずかながら続いている。2020年6月にはレクサス・LCにコンパーチブル仕様が追加された。
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