念願の優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 14:41 UTC 版)
1990年(平成2年)に入り、浜井識安の示教(詳細は#証言の「浜井識安の示教2」を参照)や自らも気持ちを切り替えて「今年こそ優勝」とトレーナーの岡田稔に支援してもらいながら、練習に励んでいた。従来の練習に加え、「スタミナ」が足りなかった反省による走り込みを重視して「陸上トレーニング」を今までの倍にした。また、早稲田大学教授の窪田登からウエイトトレーニングの他に「ゴムヒモを飛ぶ練習をしなさい」とジャンプトレーニングを勧められ、それも実行した。トレーニングキャンプも行い、ここでも走りこみ中心に行っていた。心構えも浜井の指導で変化しつつあった。 第22回オープントーナメント全日本空手道選手権大会は12月に開催され、増田はそれまで「必ず勝つ」「一本を取る」と考えていたのに対して、今回は「防御を固め、着実に相手を攻めれば勝機が訪れる」という慎重な心構えに変わっていた。延長戦でもいいから僅差でも勝とうという意識に変わっており、周囲は「増田は不調だ」「もう選手としてのピークは過ぎた」という声が囁かれていた。しかし、2日目から徐々にペースを上げていき、4回戦では城南支部の木浪利紀を下段回し蹴りで合わせ一本勝ち、準々決勝では白蓮会館の南豪宏、準決勝では外舘慎一をそれぞれ延長2回で試割り判定で破り、決勝に進出した。 相手は緑健児であった。前蹴りから得意の上段回し蹴りへと繋いでいく緑に対して、増田は対戦相手の足をことごとく破壊した、下段回し蹴りを連打していく。緑はフットワークを使って距離をとろうとするが、増田は体ごと押すように前進し、緑の大技の間合いをとらせない。増田は緑のスピードあるヒット・アンド・アウェイを封じないと勝ち目はなく、延長2回までもつれると、体重差で負けてしまう。試合はまさに一進一退。増田が前に出て下段回し蹴り、下突きを連打すれば、緑も上段回し蹴り、突きのラッシュで押し返す。延長1回は増田が左下突きの連打でリードしたかに見えたが、終盤に緑も突きのラッシュで挽回し、引き分け。続く2度目の延長戦、増田がここでポイントを奪わなければ、体重・試割り共に緑が有利な為、勝利はない。ここで緑の中段突き連打を下がって避けた増田は、練習をしていたというカウンターの右上段回し蹴りを緑にヒットさせた。緑がバランスを崩したところ、増田はすかさず「決め」の動作を取った事で技ありになった。この後、緑は胴回し回転蹴りなどで反撃したが増田はブロックして決めさせない。そのまま試合は終了し、判定5対0で念願の初優勝を遂げた。増田は「夢を最後まで信じて良かった」と喜びを語った。
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