グループB参戦計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)
「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「グループB参戦計画」の解説
ラリーからの撤退が発表された際、バクセンベルガーのチームは190(W201)の試作車をベース車両として、グループB車両の開発を進めていたが、この計画もまた中止となった。 このラリー車両用のエンジンはコスワースにM102エンジン(英語版)のチューンを依頼し、過給機なしで300馬力という、当時の他のラリー車両の追随を許さない水準の出力を達成した。開発中にアウディがターボチャージャー付きのラリー用車両(クワトロ)を1982年から参戦させることを発表したため、ダイムラー・ベンツもコスワースと共に同エンジンにターボチャージャーを追加し、400馬力を40時間連続して得ることに成功した。 試作された車体はベース車両の完成前であったことに加え、ラリー用にホイールベースを短縮していることもあって、190の量産車とは全く異なる外観となっていた。 ダイムラー・ベンツが計画を中止した理由は2つあったとされており、ひとつは1981年にグループ4車両として登場したアウディ・クワトロに端を発するWRCの4WD化とターボ化の流れに起因するものである。ターボエンジンはともかく、クワトロのような4WD車に2WD車の190で対抗することは困難と考えられたためである。 もうひとつはマーケティング上の懸念によるもので、190によるラリー参戦の狙いはそれを通じて若い消費者たちにアピールすることだったが、ラリーでは安価なファミリーカーと競って敗北する可能性もあり、「メルセデス・ベンツ」ブランドを毀損するリスクが大きいと判断されたためである。この懸念はやがて、同社のマーケティング部門をスポーツカーレースこそ参戦するのにふさわしいという判断に傾かせることとなる(詳細は「#動き出すダイムラー・ベンツ」を参照)。 190(190E)は後にDTM参戦に用いられることになる(詳細は「#DTM(1986年 - 1996年)」を参照)。
※この「グループB参戦計画」の解説は、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の解説の一部です。
「グループB参戦計画」を含む「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事については、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の概要を参照ください。
- グループB参戦計画のページへのリンク