カールサーの建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 17:21 UTC 版)
「グル・ゴービンド・シング」の記事における「カールサーの建設」の解説
1699年、グル・ゴービンド・シングは自身の支持者に対してフカム・ナーマ(英語版) (権威の書) を贈り、アナントプル・サーヒブにヴァイサーキー(英語版) (毎年行われる収穫祭)の日であった1699年4月13日に集まるよう求めた。彼は小さな丘に張られた小さなテント (現在はケーシャガル・サーヒブと呼ばれている) の入口から群衆に面会した。彼は初めに、皆に対し自身は皆にとって何であるか?と尋ねた。皆が「あなたは我らのグルだ」と答えた。彼は皆は何であるか?と重ねて問い、皆が「我らはあなたのシク教徒だ」と答えた。彼らのこの関係を思い出させながら、彼は今グルは自身のシク教徒から何かを必要としていると言った。皆が、「Hukum Karo, Sache Patshah」 (我らに命じよ、尊師よ)と答えた。その後彼は剣を抜いて、喜んで自身の頭を犠牲にする有志を募った。誰も彼の最初の呼びかけに答えず、2回目の呼びかけにも答えなかったが、3回目の呼びかけに対し、ダヤー・ラム (後にバイー・ダヤー・シング(英語版)として知られる) が進み出て彼の頭をグルに提供した。グル・ゴービンド・ライは有志を伴ってテントの中に入った。グルは彼の剣から滴る血とともに群衆のもとに戻った。彼は別の頭を要求した。さらにもう一人の有志が前に進み出て、彼とともにテントに入った。グルは再度彼の剣に血を滴らせながら出てきた。これはその後3回繰り返された。その後、5人の有志が新品で無傷の服を着てテントから出てきた。 グル・ゴービンド・シングは鉄の容器に真水を注ぎ、Patasha (パンジャーブ地方の甘味料) をこれに加え、アディー・グラントの朗読とともに自身の諸刃の剣でかき回した。彼は甘味料の入った水と鉄を混合したものをアムリタ (甘露) と呼び、5人の有志に投与した。自身の命をグルに喜んで捧げた彼ら五人はグルによりパンジ・ピヤーレー(英語版) (5人の愛する者) の称号を与えられた。ダヤー・ラム、ダーラム・ダス (Dharam Das、バイー・ダーラム・シング(英語版))、ヒンマト・ライ (Himmat Rai、バイー・ヒンマト・シング(英語版))、モフカム・チャンド (Mohkam Chand、バイー・モフカム・シング(英語版))、サーヒブ・チャンド (Sahib Chand、バイー・サーヒブ・シング(英語版))の5人は初の (洗礼を受けた) カールサーのシク教徒であった。 グル・ゴービンド・シングはその後カールサーの決起の言葉となるフレーズを唱えた。「Waheguru ji ka Khalsa, Waheguru ji Ki Fateh」 (カールサーは神の物である。勝利は神の物である。) 彼は彼ら全員にシング(英語版) (獅子) という名前を与え、彼らを洗礼を受けたシク教徒の母体であるカールサーとして指名した。グルは一同の前に跪いて5人を仰天させ、彼らに対して順に、カールサーにおいて、彼らと対等な立場で加入させて欲しいと求めた。従って、グルは新しい秩序の6人目のメンバーとなり、彼の名前はゴービンド・シングとなった。 今日、カールサーのメンバーはグル・ゴービンドを彼らの父とみなしており、マタ・サーヒブ・カウルを彼らの母とみなしている・「パンジ・ピアレ (Panj Piare)」は初の洗礼を受けたシク教徒であり、カールサーの同胞の最初のメンバーとなった。女性もまたカールサーに入るようになり、カウル (姫)の称号が与えられた。グル・ゴービンド・シングは聴衆に対し次のように述べた。 「 今より以後、あなたはカースト外となる。ヒンドゥー教やイスラム教の儀式を行う必要はないし、あらゆる種類の迷信を信じる必要もない、ただ人の前において神が全ての者の主人かつ保護者であり、唯一の創造主であり破壊者である。新たな秩序において、最低のことは最高に位置し、他人とはbhai (兄弟)となる。もはや巡礼は必要ではなく苦行も必要ないが、家庭の真の生活として、ダルマ[要曖昧さ回避]の呼びかけにいつでも身を捧げる用意を行う必要がある。女性はすべての面で男性と対等であるべきである。女性にプルダ (ヴェール) にもはや必要ではなく、配偶者の火葬に際し、寡婦が火に飛び込む (サティー) 必要もない。自身の娘を殺した者については、カールサーは加入を認めない。 」 5つのK(英語版) ケーシュ(英語版): 伸ばした髪は神が意図する姿の受容に対するシンボルである。 カンガー(英語版): 木製の櫛、人々の身体と魂を清浄に保つシンボル カラー(英語版): 前腕に嵌める鉄の腕輪、人に良きことを行うよう導き自己防衛にも使用される。 カッチェラー(英語版): 高潔な人生を歩み、レイプもしくはその他の性的搾取をやめることを人に思い出させる下着 キルパーン(英語版): 自身を守り、宗教、人種、信条によらず他人を保護する剣 「 喫煙は不浄であり有害な習慣であるから、あなたは誓ってやめるだろう。あなたは戦争の武器を愛し、優れた馬人、射手、剣や槍の使い手であろうとするだろう。物理的な武勇は精神的な感受性として、あなたにとって神聖なものであるだろう。そして、あなたはヒンドゥー教徒とムスリムの架け橋として行動し、カースト、人種、出身国、信条の差別なく貧しき者に尽くす。私のカールサーは常に貧しき者を守り、「デーグ」 - もしくは内部の地域社会 - はテーグ -剣と同様にあなたの命の不可欠な一部分となるだろう。そして、今より以後、男性のシク教徒は自身をシングと呼び、女性のシク教徒は自身をカウルと呼ぶ。そして、互いに「Waheguruji ka Khalsa, Waheguruji ki fateh」 (カールサーは神の物である。勝利は神の物である) と挨拶をする。 」 シク教の指導者の幾人かは未だクシャトリヤ・ヴァルナ出身であったが、グルの行動により18〜19世紀にシク教の強さはインドの社会において3〜5番目となったことは間違いなかった。初のアムリタの儀式にある興味深い表現として、2羽の死んだ鷹を描いた絵画がある。この2羽の鷹は地面に仰向けに倒れており、彼らを殺した2羽の鳩はアムリットの器の上に座っている。象徴的に、鳩のようなシク教徒は彼らの傍にいる好戦的な人々をもって鷹の力を得たことを表している。 グル・ゴービンド・シングのカールサーに対する敬意は彼の詩の一節にはっきりと現れている 「 すべての戦いにおいて、私は圧力に対し勝利した。私は人々の捧げた支援をもって戦った。彼らを通して初めて私は才能を授かることができ、彼らの助けを借りて、私は危機を脱してきた。彼らシク教徒の愛と寛容は私の心と家を豊かなものとした。彼らの思いやりを通して私はすべてのことを学んできた。彼らの助けを借りて、私は戦いにおいて敵を屠ってきた。私はそれらを提供するために生まれたのであり、それらを通して私は著名になった。彼らの親切心と助けがなかったならば、私は何であったのだろうか?私のような取るに足らない人間は何百万人といる。真の奉仕とはこれらの人々の奉仕なのだ。私はより高位のカーストの他の人々に提供するほど偏ってはいない。施しは現世と来世で実を結び、もしこのような価値のある人々に与えられたならば、すべての他の犠牲や施しは無益なものとなる。つま先からつま先まで、私が自身のものであると呼ぶすべてのものに対し、私が所有し運用する物をこれらの人々に捧げる。 」
※この「カールサーの建設」の解説は、「グル・ゴービンド・シング」の解説の一部です。
「カールサーの建設」を含む「グル・ゴービンド・シング」の記事については、「グル・ゴービンド・シング」の概要を参照ください。
- カールサーの建設のページへのリンク