ウォシタ川でのシャイアン族インディアンの被害者とは? わかりやすく解説

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ウォシタ川でのシャイアン族インディアンの被害者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 10:22 UTC 版)

ウォシタ川の戦い」の記事における「ウォシタ川でのシャイアン族インディアンの被害者」の解説

カスター報告したウォシタ川でのインディアン被害者数長く続く議論対象となっている。11月28日シェリダン将軍報告した最初の戦闘記録では「戦闘後実際注意深い精査により」、戦士103名の死体見つかったとしていた。「支給基地」にいたシェリダンはこの数字オウム返しに、翌日W・Aニコルズ名誉少将のもとに伝えた実際の戦場死体数えることは行われなかった。エドワード・S・ゴッドフリー中尉拠れば戦死したインディアン戦士の数の推計戦闘翌日夜になってやっと行われており、兵士達が「支給基地」に戻る行軍中に野営地造った後のことだった。「(戦闘後2日目の夜」とゴッドフリーインタビュアーウォルター・M・キャンプ1917年告げて、「カスター士官達に野営の中で死んでいるのを見たインディアンについて尋問し、これらの報告から戦死したインディアンに関する公式報告作られた。戦場死んだインディアン部隊兵によって数えられておらず、説明されているように後で推測された。」と言った1928年初め出版され証言ではゴッドフリーが、「その夜夕食後、士官達が集められそれぞれが敵戦士損失、場所などについて尋ねられた。重複避けるために労力使われた。総計103名であるということになった。」と述べたフレデリック・ベンティーン大尉は、W・Lホロウェイの『平原での自然生活とインディアン戦争恐怖』でのこの死者数とりまとめ対す注釈で、「カスター士官達を集めてそれぞれどのくらいの数のインディアン死体見た尋ねた続いてそれぞれ見た数が加算された。『彼等は皆同じインディアン死体見ていた』」と述べた。 第7騎兵隊付いていた混血斥候であるジョン・ポイザルとジャック・フィッツパトリックは、シャイアン族捕虜と共にドッジ砦に到着したときにJ・Sモリソンとは異なインディアン被害者数報告したモリソン12月14日インディアン代理人エドワード・ワインクープ大佐宛てた手紙で、「ジョン・スミス、ジョン・ポイゼル(ポイザル)およびジャック・フィッツパトリックが今日到着したジョン・スミスはウォシタの戦闘に居なかったが、ジョン・ポイゼルおよびジャック居た彼等全て一致して戦闘公式記録過大に評価していると言っている。男は20名以上殺されていない残り、約40人は女だ。」と書いた。シャイアン族捕虜自身が「支給基地」でシェリダン将軍尋問されシャイアン族13名、スー族2名およびアラパホー族1名がウォシタ川で殺されたと報告した。この数字シェリダンニコルズ名誉少将報告したジャーナリストのデイブ・ランドルフ・カイムも通訳リチャード・カーティスを介して捕虜尋問し戦死した者の実名まで把握しシャイアン族13名、スー族2名およびアラパホー族1名という同じ結果になった。後にシャイアン族様々な情報源があり、その大半互いに独立したものだったが、この女捕虜出した数字確認することになった軍隊報告書はほとんど女性子供の被害検討していない。しかし、カスターはのちに、その報告書で「戦闘最高潮になったとき、自軍防衛のために、何人かの女性と幾人かの子供が殺され負傷したということがあった」と認めたカスターシェリダン12月戦場再訪した後、カスター当初103名の戦士戦死という推計引き上げコブ砦から「インディアンかなりの負傷者以外に140名が戦死したことを認めた。我々が確保している捕虜達を含めインディアン損失全体戦死負傷および不明合わせて300名に近い。」と書き送った歴史家のホイグはもしこれが真実ならば、野営にいた全員事実上殺されたか捕まえられたことを意味する指摘している。同じく歴史家グリーンは「カスター数字誇張されており、その具体情報源不明のままである。」と述べている。ハードーフはカスター修正した総計疑った。「この新し数字コブ砦に囚われ絞首刑での死に直面している2人カイオワ族酋長から得た情報基づいている。」とハードーフは言い、「彼等窮地にあることを考えると、絞首台避けられるなら何でも言った可能性があることを示唆している。しかしこのような疑いはウォシタ川の捕虜場合には肯われないシャイアン族の女は自由に士官達と交わることが認められており、その多く親密知っていた。彼女たち好い待遇保証されており、死んだ同族についてその証言曲げたという明白な理由は無い。」と言ったグリーンインディアンによる推計が最も信頼できるとし、「よく言われるように、最も信頼できる推計犠牲者側から出てくるに違いないと言ったが、「それでも一致はしない」とも言った。しかしアトリーは「インディアン勘定である12人の戦士とその倍の女が殺されたというのは、カスター数字大き過ぎるのと同じくらい低過ぎると書いている。ホイグは「103名という数字正確な戦場での勘定によっていないとしても、既に戦場跡歴史標識書かれている決定的な数字である。絶対的に正確な数字分かる可能性少ないのであれば、ウォシタ川でカスター殺したインディアンの数として疑いなく認められたままになるだろう。歴史がそれを明らかにすべきだが、死者会戦の場で戦い敗れた戦士全てでは絶対あり得ないと書いている。 シャイアン族証言幾つかはウォシタ川で戦死した者の実名入っていた。ジェローム・グリーンはウォシタ川に関する著作に「ウォシタ川で死んだ村人記録」という付録作成し、その中にこれら資料から名前を挙げた死者リストがあって、男性40名、女性12名(そのうち11名は不詳)および子供6名(すべて不詳)が挙げられている。グリーンは、ある者は1つ超える名前を持っている可能性があり、重複してリスト化されている可能性述べている。リチャード・G・ハードーフは同じ資料使って氏名合成リスト」を作った。これは異な資料における複数の名前(あるいは同じ名前の複数の訳)を一部調整しており、例えインディアホワイトベアとトール・ホワイトマンをもつメキシコ人ピラン、あるいはバッドマン呼ばれたビターマンまたはクランキーマンがいた。ハードーフは「死者何人かはある資料では出生時の名前で、また有る資料ではあだ名識別された。また、英語による個人訳名様々にあることが、これらの判別混乱増したと書いている。 ウォシタ川の虐殺でのインディアン被害者推計値当時史料による 史料推計日付男女子供合計第7騎兵隊G・Aカスター中佐 1868年11月28日 103いくらか 僅少 103 女性捕虜通訳リチャード・カーティスと「ニューヨーク・ヘラルド記者デブ・ランドルフ・クライムを介して 1868年12月1日 シャイアン族13スー族2名アラパホー族1名 記録なし 記録なし 16ミズーリ方面軍指揮官フィリップ・シェリダン少将 1868年12月3日 シャイアン族13スー族2名アラパホー族1名 記録なし 記録なし 16カイオワ族のブラック・イーグル、通訳フィリップ・マカスカーを介して 1868年12月3日 シャイアン族11スー族3名 多く 多く 1410騎兵隊ヘンリー・E・アルボード大尉 1868年12月12日1874年4月4日 シャイアン族80スー族1名カイオワ族1名 記録なし 記録なし 81名[82名] 第7騎兵隊付いていた混血斥候であるジョン・ポイザルとジャック・フィッツパトリック、J・Sモリソン経由 1868年12月14日 20女性子供40名、 60名 第7騎兵隊G・Aカスター中佐 1868年12月22日 140名 いくらか 僅少 140名 特定できないシャイアン族、第10騎兵隊ベンジャミン・H・グリアソン経由 1869年4月6日 18記録なし 記録なし 18レッドムーン、ミニミック、グレイアイズ、リトルリーブ、特別インディアン・コミッショナービンセント・コリアー経由 1869年4月9日 1316名 9名 38名 第7騎兵隊に付けられた斥候隊長ベンジャミン・H・クラーク 1899年 75女性子供75150名 第7騎兵隊兵卒デニス・リンチ 1909年 106いくらか 記録なし 106 メド・エルク・パイプ、ジョージ・ベントとジョージ・ハイドを経由 1913年 1112名 6名 29名 クロウ・ネック、ジョージ・ベントとジョージ・バード・グリネルを経由 1914年 シャイアン族11名アラパホー族2名メキシコ人1名 シャイアン族10スー族2名 5名 31パッカーシーウルフ、ジョージ・ベント経由 1916年 シャイアン族10名アラパホー族2名メキシコ人1名 記録なし 記録なし 13名 マグピーとリトルビーバー、チャールズ・ブリル経由 1930年 15記録なし 記録なし 15Source: Appendix G table, "Aggregate Totals", Hardorff 2006, p. 403. 上の表は発生順に置き換えた。各推計資料挙げた資料種類下記の色で分けたKey: 軍隊推計 第7騎兵隊に付けられた文民斥候推計 インディアン推計

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