芸道
芸道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 22:44 UTC 版)
茶道をはじめ、書道や能楽、邦楽など、あらゆる分野にその影響が見られる。特に芸道の根幹をなす「形」(型)は、禅の思想から生まれたともされる。禅の楽器として、虚無僧との繋がりから尺八がある。 禅は元来より武術との関係が深く、中国では禅発祥の地とも言われる嵩山少林寺での少林拳が有名である。また日本では、禅が芸道としての武道の成立に寄与した。これは、禅がはじめて伝えられた時期が武家が政治の表舞台に立つようになった鎌倉時代であったことと、彼ら武士の精神状況と相性が良かったことが背景にあった。中世以前から続いていた武術(古武道)には、香取神宮と鹿島神宮に代表される神道に根源を置くものも少なくないが、禅の影響もそれと同じほど多大である。例として、剣豪の上泉信綱や柳生宗厳が武術を学ぶ意義として禅語「刹人刀・活人剣」を用いたり、禅僧の沢庵宗彭が著書『不動智神妙録』において「剣禅一致」を説くなどしている。また岐阜県(大仙寺)と山形県(釜ヶ沢大明神)には、それぞれ剣豪の宮本武蔵と居合術始祖の林崎甚助が座禅したとされる石「座禅石」が現存している。近年では、ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルが著書『Zen in der Kunst des Bogenschießens(弓と禅)』を執筆し、弓術(弓道)と禅を関連づけて、世界に伝えた。
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芸道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
芸道としては、上述した騎射三物や競馬(くらべうま)、相撲、十列(とおれつ)などがあり、これらは多く神事渡物として神輿・神木や御幣、また、神楽など上述した諸芸能とともに神社祭礼の際に奉納された。 この時代、芸道として規則が整備されたものに蹴鞠がある。シカの皮でできた鞠を一定の高度まで蹴り上げてその回数をたがいに競うもので、遊戯的な要素を多分に含みながらも元来は儀式の一環としておこなわれるものであった。10世紀に貴族のあいだで流行したが、後白河法皇の時代にあらわれた藤原頼輔が蹴鞠の名人として知られ、「蹴鞠長」の異名をとった。頼補の孫にあたる藤原宗長・藤原雅経の兄弟は、鎌倉期にあってそれぞれ難波家・飛鳥井家の祖となって蹴鞠の口伝・故実を子孫に伝承した。なお、雅経は、幕府の重鎮大江広元の女婿にあたることから将軍源実朝とも親しく、当時すでに世評高かった50代の鴨長明を実朝に引き合わせるのに功績のあった人物でもある。鎌倉時代にはいると、公家や神官のみならず天皇や将軍、武家のあいだにも蹴鞠に興じる人が広まった。
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芸道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 17:55 UTC 版)
芸道の世界において、門弟が家元や師匠の意思により流派から追放されることを破門と呼び、同時に信頼関係が破綻したことによる意味も兼ねる。茶道、華道など芸道には記述が見られるが、落語界にも記述がしばしば見られ、家伝の場合、破門と勘当を同時に行うことがある。
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