舗装 舗装の概要

舗装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/29 22:52 UTC 版)

石畳(「敷石舗装」)(アッピア街道ローマ市内)
レンガ舗装(ドイツ、ブランデンブルク
マカダム舗装(米国、ペンシルベニア州、ハンティンドン郡、2009年)
アスファルト舗装(ドイツ、2013年)

概要

道路の断面は、多くは表面から地下の順に、表層・基層・路盤(上層路盤と下層路盤)・路床(ろしょう)とよばれる各層からなり、このうち表層・基層・路盤を併せた部分が舗装と定義されている[1][2]。舗装の下にある1メートルの層が路床、その下を路体(ろたい)と呼び、舗装を支える基礎となる地盤である[1][2]。高架橋やトンネル内の道路、歩道などでは、舗装の断面構成要素はこれらの内容とは異なる[1]。普通、表層部は一般にアスファルトとよばれているアスファルト混合物アスファルトコンクリート、基層部は表層部よりアスファルト混合量が少ないアスファルト混合物、路盤は人工的に粒径を調整された砕石によって構成されている[1]。表層にはアスファルトが使用されることが多いが、環境に配慮した道路や遊歩道では、インターロッキングブロック (ILB) が使用される例もみられる[1]

道の歴史は、原始人が草を踏み分けたものから始まり、歩き辛さを軽減するために小石などを取り除き、やがて牛・馬の背に載せたり、台車を使ったりすることで、荷物を大量に運搬することができるような道になっていったと考えられている[3]。人は、物の運搬の効率化を考えるようになると、なるべく牛や馬の疲れを軽減し、人も歩きやすくするために道路改良を行うようになり、雨天によって出来たぬかるみなどで歩行に影響が出ない人工的な路面、すなわち舗装が考えられるようになった[3]。近代になると自動車が走るようになり、その後の自動車の大型化が進むとともに道路の舗装断面もそれに耐えうる構造に、舗装の設計法は変わっていった[3]

したがって、舗装の役割・機能とは次のようなものである。

  1. 路面が雨天時に軟弱になり泥濘化[注釈 1]することや、晴天時に車両が通行することで砂塵が巻き上げられ、周囲環境が汚染されるのを防止する[4]
  2. 路面を平坦にし、また適切な摩擦抵抗をもたせることによって、人が歩く時、また車両で走行する時の快適性や安全性を向上させる[4]
  3. 道路の耐久性を高める[4]

舗装は設計に際して、交通荷重と自然環境の作用に対する耐久性確保に配慮する必要がある。舗装の基礎部分である路床は、その上層の加重および交通荷重に耐えられなければならず、道路の善し悪しは路床の強度で決定づけられる[1]。舗装全体は、表層からの交通荷重を分散させられるように適切な構造でなければならない。その場所ごとの状況・条件、沿道環境、経済性などを考慮しながら舗装の構造を決定する必要がある。

歴史

世界

舗装の歴史は古く、道路の歴史とともに人々の文化や産業が発展するたびに、変遷を遂げてきた[5]

紀元前3000年頃の古代エジプトピラミッド建設用の石積道は、巨大な石を運ぶためにしっかりとした舗装がされた[5]ギザの大ピラミッドの建造では、平均数トンの重さの石が2百万個以上運ばれたので特に丈夫な舗装が行われた。紀元前5世紀ころの古代メソポタミアの中心都市バビロンの「王の道」では、アスファルトが用いられた[6]。紀元前1600年頃とされるクレタ島の道では、基礎部分にモルタル石膏火山灰土を混合したもの)やセメントを敷き、その上に玄武岩の板石や砕石を敷き並べた。(道の両脇には排水溝も備えていた)

ローマ街道の標準的な舗装の断面
ローマ街道の舗装の表面

ローマ帝国によって紀元前350年頃からヨーロッパを中心に800年をかけて建設されたローマ街道では[5]、主要な街道はすべて石で舗装された[7] (「敷石舗装[7]」、「石畳」)。驚くことにローマ街道の舗装の全構成厚は1.0 – 1.5 mほどもあり、現代の先進国の幹線道路などの舗装と同程度の厚さで作っていた[7]。最上層は、接合面がぴったり合うように切った一辺70 cm程度の大石をすきまなく敷き詰めている[7]。路面は丸みを持たせて雨水などを道路両端の排水溝へ流す仕組みがなされた[5]。ローマ帝国の土木技術は当時、圧倒的に優れていて、石の加工技術にも秀でていた。特に有名なアッピア街道は、現在でも車の通行にたえている[8]。ローマ帝国では、軍事的および政治的な目的で、物資輸送を迅速に行うためにこのような舗装の整備が発展した[5]

中世ヨーロッパ各国では、石畳やレンガ舗装が普及した。フランス国王フィリップ2世(1165–1223年)は、パリの道路を全面、石で舗装するよう指示したものの、砂岩の薄い板の舗装を選択したため壊れやすく、また費用も市民まかせにしたため工事もほとんど進まなかった。パリで本格的に石畳の道が広まったのは15世紀頃で、固い舗石を敷き並べるものであった。

イギリスを中心に産業革命が進むにつれ、陸上交通は乗馬による移動から馬車による移動へと変化し、その交通量も増加するようになると、交通事情の変化に合わせて安価でかつ耐久性に優れた舗装が次々と開発されるようになった[5]。代表的なものとして、トレサゲ工法、テルフォード工法、マカダム工法といった砕石舗装の道が整備されるようになり、19世紀まで普及を続けていった[5]

1764年にトレサゲ英語版(1716–1796年)が、路床面と路面が同じ曲率を持つように、上方に凸状に反らせる砕石舗装を提案した(「トレサゲ工法」)[9]。この舗装は、上反り状に形成された路床に厚さ20 cmの栗石の基板層を施設し、その上層部に厚さ5 cmの砕石、表層部に砂利2.5 cmを敷き詰めて転圧したものである[9][10]。路床に水が浸入すると支持力が低下するので、それを防ごうと、排水を路肩に流すことに配慮したものであった。

1805年にはスコットランド生れのトーマス・テルフォード(1757–1834年)によって、トレサゲ工法の欠点を解消する方法が考案された[9]。路床は平面のままとし、頑丈な基礎によって荷重に耐えさせるという考えで、新しい断面が考案されたのである(「テルフォード工法」)。平坦に形成された路床の上に栗石の基板層を厚さ約18 cmで敷設して基礎とし、その上に厚さ18 cmの砕石、表層部分に砂利2.5 cmを敷き詰めて転圧したものである[9][10]。彼がカレドニア運河・多数の橋梁・道路・港湾 等々の建設にたずさわる中で考案されたものとされる。テルフォードによる道路舗装の開発・改良は、4輪馬車による道路交通の輸送量増加に大いに貢献した。

さらに1815年には、スコットランドジョン・ラウドン・マカダム英語版[注釈 2](1756–1835年)が、舗装の普及のために、より安価で耐久性のある構造・工法を提案した(「マカダム工法」)[9]。断面形状はトレサゲ工法と同じものだったが栗石は使用せず、平坦な路床の上に直接砕石を厚さ20 cmで敷設して、その上層部に細粒砕石2.5 cmを施設して転圧したものである[9]。マカダム式舗装は、技術的にも容易で施行期間が短くできたので広く普及し、近代マカダム式道路の原型にもなり、日本でも明治時代に標準構造として採用された[9]

しかし、砕石舗装は時代とともに道路の交通量が増えるにつれて、維持管理費がかかるようになったことに加え、路面を平坦に保つことが困難であることがわかりはじめ、さらに20世紀になると自動車が普及したことにより、自動車走行には不向きであることが顕著となり、次世代の舗装であるアスファルトやコンクリート系の舗装に移行するようになった[5]

日本

日本最古の舗装は、約3500年前の縄文時代後期、新潟県村上市の元屋敷遺跡で舗装道路の遺構が発見されている[8]。この遺構では、道の両側に平たい石を置き、その間に砂利を敷き詰めたもので、規模は幅約2 m、長さは約40 mあり、主に日常生活のために造られたものではないかと推測されている[8]

江戸時代には、初期ごろに平戸長崎で石畳舗装が造られており、1680年に箱根の山越え道に1400両あまりをかけて石畳が造られたほか、1805年の京都では、東海道(三条街道・大津街道)の三条大橋 - 大津八丁間において、牛馬道と人馬道を分けた石畳道(大津街道軌道舗装)がつくられている[8][11]

日本初のアスファルト舗装といわれているものは、1878年東京都千代田区神田昌平橋で施工されたものや[12]、長崎のグラバー邸通路の瀝青材料を使ったアスファルト舗装だとされている[11]。ただし、日本に自動車が登場する1899年までは、ほぼ全ての道路は非舗装といってもよい状況であった。また、自動車の通行が見られるようになった後も、東京都心ですら幹線道路から外れた道路となれば、全て非舗装という状態であった[13]。明治後期になってようやく全国に先駆けて東京都心部の道路が舗装され始められるようになったが、現在の簡易舗装にも劣る質の悪いもので、自動車が走ると、瞬く間に舗装が損傷する程粗末な物であったという[13]

大正時代になってようやく近代舗装が開始されるようになったが、この当時の大部分の国道などは砂利道のままとなっていた[11]。このとき、自動車の普及によって舗装の耐久性向上への要求が高まっていた[14]。自動車を対象とした日本初の舗装が施工されたのは、1911年に東京市で造られた木塊舗装、シートアスファルト舗装(アスファルトモルタル舗装)、コンクリート舗装である[11]1923年関東大震災は東京を中心に壊滅的な打撃を与えたが、これを契機に震災復興事業は国の予算で実施されることなり、国の機関として設置された帝都復興院(のちに復興局)が、幹線道路の舗装を担当したことによって、東京市内の路面舗装が急速に普及し、1919年に制定された都市計画法に基づく街路事業と相まって大幅に進展した[15]。本格的な舗装道路は、1926年に東京・品川 - 横浜市神奈川区間、尼崎市 - 神戸市灘区間で施工されたものである[13]

昭和時代になると、アスファルトが国産化されることによって、基層を持たない厚さ3 - 4 cm程度の簡易舗装が普及しはじめた[11]。戦前の日本では、1931年東京市が舗装率55%超えを記念して道路祭を開くなど、徐々に舗装が進められていた[16][17]。しかし1960年頃までは、国内の道路のほとんどは非舗装で、幹線国道でも舗装されていない道路が多かった[4]。舗装整備が欧米諸国から大きく遅れをとった最大の原因は、移動手段のほとんどが徒歩で、馬車交通の時代がなかったからであるといわれている[13]

戦後間もない日本の道路は、戦争によって荒廃した未舗装のすれ違い困難な狭隘道路ばかりで、道路施策について建設省ではトータルコストの観点から、当初は拡幅などの改良を終えてから舗装を行うべきとする考え方が支配的であったが、拡幅するためには用地取得に時間がかかり現実的でなかったため、1950年代になってから舗装優先主義に切り替えた[18]。石油産業の発達により、アスファルトの供給がドラム缶に詰める方法からタンクローリーで供給する方法に変わった[14]ほか、多量かつ安価にアスファルトの入手が可能になった[19]。石油アスファルト舗装が1954年(昭和29年)から始まる第1次道路整備5箇年計画から本格化した[20]。かつてはコンクリート舗装が一定の割合で舗設されていたが、高度経済成長期に初期コストが低く、早急な道路整備が求められるようになり、アスファルト舗装の施工が大幅に増加して、コンクリート舗装の割合は減少していった[11]1956年には、東京 - 神戸間の高速道路調査のためにアメリカから来日したワトキンス調査団の調査報告書(ワトキンス・レポート)の中には、当時の日本の道路事情の劣悪さを示した文章が記載されている[11]。このような状況下にも関わらず、自動車の登録台数は増加の一途で、道路整備の急務が課題となった[11]モータリゼーションが始まった1960年代後半から、ようやく日本全国で道路の舗装化が急速に進み[13]、一般道路の舗装率は、1970年昭和45年)の統計で約15 %に過ぎなかったが、2000年平成12年)では約76.4 %に達した[12]2001年(平成13年)には透水性舗装が本格的に導入され、道路構造令での舗装の規定が「セメント・コンクリート舗装又はアスファルト・コンクリート舗装」という仕様規定から4種の指標(疲労破壊に対する耐久性・わだち掘れに対する抵抗力・路面の平坦性・雨水等の浸透能力)に基づく性能規定へと変更された[21]

舗装は古くは馬車や自動車を目的としたものであったが、1958年(昭和33年)の道路構造令改正に伴い歩道に対して舗装を実施することがはじめて定められた[20]。また、「アスファルト舗装要綱」には1967年(昭和42年)に歩行者系道路舗装についてはじめて記述され、1993年(平成5年)の道路技術5箇年計画では「歩行者にやさしい舗装材料」として歩行者への負担を軽減する舗装材料の開発を行うとした[20]

舗装廃材の再生利用に関する研究は昭和20年代から始められていたが、実際に再生利用が行われ始めたのは昭和50年代に入ってからで、技術進歩のほか、1971年(昭和46年)に「廃棄物の処理および清掃に関する法律」の制定や舗装廃材の発生量の増加による処分地確保の問題が背景にある[22]


注釈

  1. ^ になってしまうこと。
  2. ^ あるいは「ジョン・ラウダン・マカダム」「ジョン・ロウドン・マカダム」とも。
  3. ^ 国土交通省によれば、日本の約95 %の道路がアスファルト舗装である。
  4. ^ ただし、一部寒冷地においては、下層路盤の下に凍上抑制層の5層となる
  5. ^ 2012年に一部開通予定の新東名高速道路では、開通区間約160 kmのうち、70%弱にあたる110 kmがコンクリート舗装となる。

出典

  1. ^ a b c d e f 峯岸邦夫 2018, p. 80.
  2. ^ a b 宮川豊章・岡本亨久・熊野知司 2015, p. 131.
  3. ^ a b c 峯岸邦夫 2018, p. 82.
  4. ^ a b c d 浅井建爾 2015, p. 25.
  5. ^ a b c d e f g h 峯岸邦夫 2018, p. 84.
  6. ^ ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 159.
  7. ^ a b c d 塚本敏行「アッピア街道」 [1]
  8. ^ a b c d ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 160.
  9. ^ a b c d e f g h 峯岸邦夫 2018, pp. 36–37.
  10. ^ a b 峯岸邦夫 2018, p. 85.
  11. ^ a b c d e f g h 峯岸邦夫 2018, p. 86.
  12. ^ a b c ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 161.
  13. ^ a b c d e 浅井建爾 2015, p. 26.
  14. ^ a b アスファルト基礎知識 1-2アスファルト利用の歴史”. 日本アスファルト協会. 2019年11月12日閲覧。
  15. ^ 武部健一 2015, pp. 170–171.
  16. ^ 武部健一『ものと人間の文化史 116-Ⅱ 道Ⅱ』法政大学出版局 2003年 pp. 205–206。※初版のp. 206で、坪からhaに変換した際の括弧内の数字が2桁間違っているので注意。
  17. ^ 今井哲、ほか「六大都市道路發達概要」、『道路の改良』第22巻第12号、道路改良会、1940年12月、 pp. 161–228。
  18. ^ 武部健一 2015, pp. 177–181.
  19. ^ 巻上安爾ら 2002, p. 148.
  20. ^ a b c 辻本明人 1999, p. 34.
  21. ^ 日本道路協会 2018, pp. 112–113.
  22. ^ 巻上安爾ら 2002, p. 280.
  23. ^ a b c d 峯岸邦夫 2018, p. 88.
  24. ^ a b 峯岸邦夫 2018, p. 98.
  25. ^ a b 峯岸邦夫 2018, pp. 100–101.
  26. ^ a b c d 峯岸邦夫 2018, p. 92.
  27. ^ 巻上安爾ら 2002, p. 149.
  28. ^ 峯岸邦夫 2018, p. 108.
  29. ^ a b c d 峯岸邦夫 2018, pp. 92–93.
  30. ^ a b c d ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 219.
  31. ^ a b c d e “原油高、舗装に変化 アスファルト高騰、コンクリに脚光”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2011年12月22日)
  32. ^ a b 宮川豊章・岡本亨久・熊野知司 2015, p. 132.
  33. ^ a b c d e f g 峯岸邦夫 2018, p. 90.
  34. ^ 巻上安爾ら 2002, p. 270.
  35. ^ 巻上安爾ら 2002, p. 271.
  36. ^ a b c d e f 窪田陽一 2013, p. 32.
  37. ^ 巻上安爾ら 2002, pp. 271–272.
  38. ^ a b c d e f g h i j k l m 峯岸邦夫 2018, p. 136.
  39. ^ 巻上安爾ら 2002, p. 274.
  40. ^ 巻上安爾ら 2002, pp. 274–275.
  41. ^ a b c d 巻上安爾ら 2002, p. 275.
  42. ^ a b c d e f 峯岸邦夫 2018, pp. 94–95.
  43. ^ a b c d e 峯岸邦夫 2018, p. 94.
  44. ^ a b 峯岸邦夫 2018, p. 95.
  45. ^ a b c d e f g h i 峯岸邦夫 2018, p. 96.
  46. ^ a b 桜井豪・高木雄一郎 (2019年11月12日). “道路で太陽光発電 ミライラボ、CASEにらみ開発”. 日本経済新聞. https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52043140R11C19A1TJ1000/ 2019年11月12日閲覧。 
  47. ^ WWMT NEWSCHANNEL 3:Rural Mich. counties turn failing roads to gravel、2009年6月12日
  48. ^ 浅井建爾 2015, pp. 26, 28.
  49. ^ Ⅱ-3-1 世界の道路延長、舗装率
  50. ^ https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/inter/keizai/gijyutu/pdf/road_design_j1_03_1.pdf 日本における道路整備について
  51. ^ a b c 浅井建爾 2015, pp. 27–28.


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