ティワナク 現在の状況

ティワナク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 14:44 UTC 版)

現在の状況

ティワナク遺跡では、現在も発掘が続けられている。

1980年代後半からアメリカのシカゴ大学の考古学者アラン・コラータらによって、大々的な調査が行われてきた。現在では、コラータらのプロジェクトは一段落しているが、一部で彼の元生徒で現在はカナダのマクギル大学の考古学者たちによる発掘が進められている。この調査はティワナク遺跡を囲んだ金網の外の遺跡で行われている。そこでは、地中レーダーを使った調査なども行われている。

また、2004年度からボリビア国立セメント会社のSociedad Boliviana de Cemento S.A.出資で、Unidad Nacional de Arqueologia(UNAR:ボリビア考古局)の 考古学者たちによって発掘が行われており、2009年頃まで継続される予定である。これは、ティワナク遺跡を観光地として大々的に利用するため、遺跡の基本データの採取が目的で行われている。発掘の中心はアカパナのピラミッドであり、一部ではあるが階段や石の門などが修復されつつある。

このほか、アメリカ合衆国ペンシルベニア大学の建築家でもあり人類学者であるアレクセイ・ブラニッチ(Alexei Vranich)が、ボリビア考古局に保管されている19世紀末から20世紀初頭にかけての遺跡の写真、および一部の発掘調査にもとづき、カラササヤやアカパナ、プマ・プンクの復元に取り組んでいる。そこから、ティワナクの建築群が持っていたであろう意味の再構成に取り組もうとしている。ここでも一部地中レーダーを使った調査が行われている。

世界遺産

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

想定されているティワナク社会

ティワナクはしばしば帝国と称されることがあるが、実際にどのような社会であったかについては、研究者の間で意見が分かれている。

ティワナクは官僚制国家か

最近では、ティワナク社会を「官僚制を伴う国家」とみなすモデルが提案されている[9]。しかし、考古学的証拠のみから官僚制を推測するのは難しいため、反論も多い[10]。反論としてあげられているモデルでは、「複雑な地縁血縁組織(アイリュと呼ばれる)が重層化した社会」とみなすものがある[11]

これらの論争は、アイマラ語スカ・コリュケチュア語でワル・ワル[12])と呼ばれる堀を伴った盛り畑農耕の調査とその解釈が発端であった。ここ数十年のチチカカ湖沿岸の考古学は、主にサブシステンスの研究(国家による生産物の流通・管理・分配など政治的な部分も含む広い意味での生業・生計研究)に比重が置かれてきた。1990年代にはいり、さらに異なるテーマからの研究も行われているが、ティワナク研究でも長い間、生業研究に比重が置かれていた。そこで着目されたのが、スカ・コリュであった(詳細は後述)。現代では放棄されたこの農耕に対して、1980年代初頭から復元実験を始め、その単位面積あたりの生産性の高さが注目されていた時期でもあった。

この盛り畑耕法が、ティワナク政体により直接管理されていたのか、それとも、ローカルな地元農民たちの手で管理されていたのか、という遺構に対する解釈から論争は生じ、1980年代後半から2000年ころまで続いた。先にあげたアラン・コラータの官僚モデルでは、ティワナクによるスカ・コリュの直接的な管理運営を主張する[13]。ティワナク遺跡のあるティワナク谷のとなりにあるカタリ盆地に広がる盛り畑や、それに付随する長さ20kmほどの河床を人工的に改変した水利施設は、ティワナク政体の中央から技官が派遣されて作られたものであると言う[14]。その証拠に、カタリ盆地とティワナク谷の水利施設は似たような構造になっていると主張する(前掲書)。また、盛り畑の畝の土中や、放棄後の畝上の覆土から得た炭化物(カタツムリの殻など)を放射性炭素年代測定にかけ、これらの盛り畑がティワナク期に利用されていることを示した[15]。それによれば、ほとんどの炭化物はティワナク期の年代を示している[16]

これに対し、クラーク・エリクソンは、盛り畑やそれに付随する水利施設、堤防などを、国家による管理に結びつける解釈に疑問を呈した。これらはペルー領での実験によっても数家族で運営ができることが確認されており、国家による管理は必要なかったと述べている[17]。そして、盛り畑や水利施設などは地元民によって管理運営されていたと主張する(前掲書)。さらに、コラータの生産力重視でかつ大規模土木建築重視の理論に対して、ネオ・灌漑理論として批判している[18]。エリクソンも熱ルミネッセンス法で盛り畑の利用年代を調べ、盛り畑と物理的に連なっている住居址から出土した土器から盛り畑の年代を測定している。それによれば、紀元前200年から紀元後200年の間、およびティワナク崩壊後の時期を示すという。しかし、これは盛り畑の畝から出土した土器や炭化物ではないため、コラータは批判をしており、上記で記したように畝から得た炭化物(ただし陸生のカタツムリなどあいまいなものもある)から畝の利用年代を示した。しかし、これについてもサンプルの質の問題や、畑の畝から得た炭化物でもって利用年代がわかるのか? といった疑問もある。

コラータの調査チームに参加していたボリビア人考古学者のアルバラシン-ホルダンは、ティワナク谷下流域で遺跡登録のためのセトルメント・パターン調査を行い、遺跡の分布状況を解釈するにあたってスペイン人の書き記したアイリュ(地縁・血縁的集団)に関する記録文書を利用した。そして、このアイリュがより複雑に重層化したのがティワナク社会だったと主張する。その上で、これらアイリュなどの手によってスカ・コリュや水利施設などは管理されていたと述べている[19]

しかし、両者とも決定的な考古学的証拠を挙げることができないため、議論は堂々巡りになっている。二項対立的な論争を昇華しようという動きがあるものの、耕作の管理形態という問題は、考古学的証拠から直接アプローチできないため、最終的な結論には至らないまま収束していった。

ティワナク社会崩壊の問題

現在では、この論争は、ティワナクの崩壊という問題へ形を変えて継続している。アラン・コラータは、気候変動による乾燥化でスカ・コリュの生産性が落ち、それがティワナク社会崩壊の引き金になったと論じる[20]。それに対して、クラーク・エリクソンは、新環境決定論として反論している[21]

コラータらの調査に参加していた、ボリビア人考古学者のアラバラシン・ホルダンは、ティワナク社会が崩壊した後も、小規模にはなったものの盛り畑が利用されていたことをあげ、気候変動によるティワナクの崩壊について、疑問視している。さらに、コラータの生徒であったポール・ゴールドスタイン(Paul Goldstein)も、自身の調査地であるペルーのオモ遺跡群およびモケグア川スペイン語版英語版周辺のエル・ニーニョ関連の調査から、気候の変化による乾燥化がティワナク崩壊の原因ではなく、エリクソンの述べる社会内部の不安定が遠因とする説に賛同すると述べている[22]。ゴールドスタインによれば、コラータの述べる乾燥化による農耕システムの崩壊がモケグア谷では見られなかったとのべている。事実、A.D.1300年頃に起こった大規模なエル・ニーニョによる洪水は、モケグア川におけるティワナク関連遺跡の放棄時期の後に起こっているという。このように、現在でもティワナク社会の崩壊原因については論争が行われている。

古代の生業技術(盛り畑農耕)の収穫高や効率性への疑問

さらにこの問題は、これまでとまったく異なった面からも問われ始めている。20年間にわたって研究されてきた、チチカカ湖沿岸の生業研究の一つの成果であるスカ・コリュの生産性が疑われ、これまで喧伝されてきたスカ・コリュ農耕の持つ効率性や生産性の高さも、疑問視され始めている[23]

Swartleyによると、スカ・コリュという耕作技術そのものが、考古学者によって発明された先住民の知恵(Inventing Indigenous Knowledge)であるという。ティワナク期に、どのような社会環境で利用されていたのかは実際にはわかりえず、解釈と実験はすべて考古学者によって発案され、先住民の知恵として喧伝されてきたという。また、Bandyは、スカ・コリュと雨水に頼る一般的な天水農耕とのエネルギー面からの効率性を検証し、スカ・コリュの効率性が一般の天水農耕よりも悪いと論じている。さらに、シストセンチュウにより連作障害が引き起こされるため、この点を考慮すると、決して効率のいい耕法ではなかったと論じている。

こうなると、「生産性が高い盛り畑農耕(スカ・コリュ)」を重要な生業基盤とした前提の元で行われていた議論が崩れ始める。特に、生態学的環境に厳しいアルティプラーノにおいて、なぜティワナク社会は生じたのか、という問題にもかかわってくる。これまでコラータは、スカ・コリュという冷害にも強く単位面積あたりの収穫高が高い耕作技術があったからアルティプラーノでも食料基盤を確保でき、集約的な労働力を必要とする生産技術(スカ・コリュや水利施設)が官僚制の発達を促したということを理由に、ティワナクのような国家レベルの社会が成立できたとしてきた[24]。しかし、もしティワナク期におけるスカ・コリュの重要性が相対的に低下すると、この理論は成立しなくなってしまう。コラータの理論は、すでにエリクソンからネオ・灌漑モデルとして批判されている[25]。さらには、ティワナク社会の崩壊原因としての、乾燥化によるスカ・コリュの機能不全というコラータのモデルも再検討が必要となってくる。

古代の国家とは

高次元の解釈を進める上で有効な考古学データを見つけることがほとんど不可能なことが、問題を複雑にしている。一般住居址の発掘調査も行われてはいるが、そこから耕作地の管理形態や生産物の吸い上げなどを構築するためのデータを得るのは難しい。ただし、一般住居址の発掘調査からは、ティワナク社会においても階層差があったのではないかという証拠が挙げられている。遺跡の中心部近くの住居址や特定住居址では、他の地区では見られない、箔や他の金属製品、精製土器などが出土している。また、ティワナク谷全体や隣のカタリ盆地(パンパ・コアニ)に分布する諸遺跡は、調査者によるとそれぞれ規模がかなり異なり、階層差が見られるという。ただし、その階層の解釈の仕方を巡って、ことなるティワナクモデルが提案されている。コラータはティワナク中央とそれに続く二次、三次センターを想定しやや統合的な社会を想定しているのに対し、アルバラシン・ホルダンは規模が異なるアイリュの重層化の表れと解釈している。

最終的に問題なのは、古代の「帝国」「国家」などの概念が研究者の間で一致が見られていないことにある。さらに、国家を示す考古学的な指標として世界的にもよく挙げられる、物資を集積するための倉庫や、権威や情報を伝達するための「王道」、権力者の存在を示す王墓などの強い証拠は、ティワナク文化においてはほとんど見当たらない。そのため、厳密に論じるならば、ティワナクが「国家」レベルの複雑化した社会であったことすら現段階では論じることは難しいといってもよい状況にある。

ティワナク遺跡と関連する地方遺跡

ティワナクは、ボリビアのコチャバンバやペルーのモケグアに飛び地を持っていたと言われている。しかし、それら飛び地との関係はあまりわかっていない。ティワナク遺跡のある中核地帯と地方のティワナク関連遺跡との関係について、現在では、ティワナクからの移民による直接的な統治ではなく、むしろ地方の地元豪族がティワナクの物質文化などを利用して地元に権力を行使していたとされる説が強い。

しかし、地域ごとにティワナクの影響は異なっており、モケグアにおいては、人骨の分析などからティワナクからの直接移民があったことが確認されている。しかしながら、チリのアタカマ地方にあるティワナク関連遺跡の人々は、ティワナクからの直接的移民ではなかったであろうと言われている。




  1. ^ 例えば、Albarracin-JordanやClaudia Riveraなど
  2. ^ かつてはPonce Sanginesなどのボリビア人研究者が唱えていた。
  3. ^ Benett, Ponce, Kolataなどがこの立場をとった。
  4. ^ Kolata; Janusekなど
  5. ^ 複数のボリヴィア人考古学者からの主執筆者への私信による
  6. ^ "Tiwanaku and its :Hinterland" Vol.2. Smithsonian Institution Press, Washington and London.A.Kolata ed.2003
  7. ^ Ponce Sanginés 1976(1972):62
  8. ^ Kolata&Mathews 1988 cited in Janusek 1994:64
  9. ^ アメリカ人考古学者Alan Kolata 1991:1996 などの立場
  10. ^ アメリカ人考古学者C.Ericksonやカナダ人考古学者D.Grafamなどの立場
  11. ^ ボリビア人考古学者 Albarracin-Jordan1996
  12. ^ 英語レイズドフィールドスペイン語でカメリョーネス
  13. ^ Kolata 1986
  14. ^ Kolata 1991
  15. ^ Kolata 1993; 1996
  16. ^ ibids.
  17. ^ Erickson 1988
  18. ^ Erickson 1993
  19. ^ Albarracin-Jordan1996
  20. ^ Kolata 1991; 1996
  21. ^ Erickson 1999
  22. ^ Magiligan and Goldstein 2001
  23. ^ Swartley 2000;Bandy 2004
  24. ^ Kolata 1991; 1996
  25. ^ Erickson 1993
  26. ^ 園田 他 1999:17(科学研究費補助金研究成果報告書 所収)
  27. ^ 宝来 他1999:29,前掲書 所収
  28. ^ Rothammer et al. 2003
  29. ^ Nakajima 2004
  30. ^ Nakajima 2004
  31. ^ Nakajima 2004
  32. ^ Bandy 2004;Nakajima 2004
  33. ^ Bandy 2004;Nakajima 2004
  34. ^ Bandy 2004;Nakajima 2004
  35. ^ Nakajima 2004
  36. ^ ibids.
  37. ^ PIWA 1992:55
  38. ^ ただし、あくまで計算上の数値(Swartley 2000,Nakajima 2004)
  39. ^ Swartley 2000; Bandy 2004; Nakajima 2004
  40. ^ Nakajima 2004
  41. ^ ibids.






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